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陳維錚(タン・ズイチン)&劉珊(リュウ・サン)展
『あっ あふれた』
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2004.2.10tue〜15sun B1 gallery
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陳と劉は、共に学年は違えど、京都精華大学に留学生として通う、アジア出身の若き作家である。二人は日頃から交流を温め、この時期に企画展として発表を行いたいとの申出をもとに、この企画が実現するに至る。
陳は、既に日本はもちろん、海外でも発表を経験し、自己のルーツやアイデンティティーを基にコンセプチュアルな発表を得意とする。アジア圏の現代美術作家は自国の歴史的背景や政治・宗教的メッセージを美術に取り込んでメッセージ性の強い表現を行う傾向が非常に強く見られるが、彼も例外では無い。しかし、彼が日本に学ぼうと思った時点から、活動の幅を広げる目的はもちろん、おそらく確固たる信念と対極に有る?日本特有の「軽さ」あるいは情報量、技術を自らに得ようと思ったのでは無いかとも勝手に推測する。一方、劉の方は元来、日本のアニメーションやマンガ文化に興味を持っていた。事実、彼女の描くイラストレーションは全くをもって日本の若い女性達が描くそれと同じ匂いや空気を持ち、何の違和感も無くすーっと入ってくる。ただ、彼女は単なる絵描きでは無く、インターネットやデジタルコンテンツといった新世代のフォーマットを発表の場面として、制作に精力的に取り組んでいる。つまり、ここでもアジア諸国(特に先進国と言われる国)がいち早く展開してきた情報通信技術への取り組みの恩恵が、既に若い作家としての芽にしっかりと顕われているのである。余談だが、意外にも日本、特にここ京都でデジタル分野の作家が未だ少ないのは、その土地柄なのか、はたまた国民性なのか・・・と思い測るのである。いや日本においてはまだまだデジタル技術と作品制作(アートとしての表現)が結びついている例が少ないと言うべきか。作る側がそのような状況であれば、なおのこと、日本のアート鑑賞者達は「デジタル」という言葉に不信感を隠さない。脈々と培ってきた手工芸の歴史こそが日本の誇りであり作家の手触りこそが観賞に値すると感じる傾向が大多数なのだ。確かに、安易にテクノロジーを用いて予算を削り、時間をかけずに作品として発表された物と、丹精こめて作られた工芸品とでは、その在り方が違う。しかも、デジタルが信号として流動的な物であり、端末があれば何処でもいつでも再現可能であり、複製も出来るという点で、根本的に違うものである。そして、今まで、どんなにリアルなCGだろうと、迫力のグラフィックだろうと、我々は常にアナログこそが本物で、デジタルは限り無くそれに近付くことはできても、イコールにはならないとも感じて来た。
しかし、今回の二人の展示を見て、これらの考察とは別の印象を受けることを期待している。画面の中で動く少女に、我々は親近感を抱く。インスタレーションとしての設営物に我々は普段消費している物としての概念とは別に、馴染み深い生活の匂いや気配を感じる。二人のそれぞれの得意のスタイルが融合し、はっと気付くのだ。何かが心の中で動くのを。誤解を恐れずに言えば、それこそが本来使われるべき、「感動」という言葉である。二人はその感覚に「あっ あふれた」という繊細な言葉を選んだ。何かが心のコップに溜まり、こぼれ落ちる瞬間。そのような体験を、私は期待する。
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ニュートロン代表 石橋圭吾
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陳 維錚 Tan JuiChen
作品内容/インスタレーション、映像作品
連絡先/携帯 070-5090-8662
連絡先/メール tanjc@hotmail.com
連絡先/URL http://previous.i.am
プロフィール
1976年マレーシア生まれ。
中国系。 山形の東北芸術工科大学と京都精華大学大学院芸術研究科を経て、2003年現在は同大学院の博士課程後期でFine Arts領域に在籍中。Media
Arts専攻の学部時代から3DCGアニメーション、フィルム、実験映画、パフォーマンス、インスタレーションなど作品を発表。東北デジタルコンテンツグランプリ受賞。近年はグループ展と個展を多数開き、知性と感性の両方を触発する体験型のインスタレーションによる哲学のアプローチを展開。
作品制作におけるコメント
私の作品は常に同じ過程を経て作られてきました。
生活で直面する問題、悩みが重なれば、解放のために脱出の道を探り始めます。 友人の助言や本の一言がきっかけで問いかけ自体も考え方も変わることがあります。
問題の本質的な理解と解決が見込めるときに、考え方がだんだん一つのコンセプトにまとまってきます。そのコンセプトをもとに作られた作品を見た人々は私と意識の共有や共鳴ができます。
抱えているのが非常にプライベートな問題だし、解釈と解決法も私見にすぎませんが、似たような悩みを持つ人間同士にとっては有意義なのではないかと思います。
諸出来事によって人間不信に病む最近は、「人」の存在の不確かさについて考え続けています。 古い記憶を喚起してより確かな感覚にまとめるように我々は昔の記念写真を読み直しますがまるで目の前にいるように頭に浮かべる相手の姿は思い込みのイメージにすぎません。
気持ちを確かめるように男女は自然に体を触れ合うのですが、肉体以外に物質も我々に何かを語りかけているのだと思います。 今回は生活空間の中で生活感以上に語りかけてくる物質を真剣に見つめて物と会話する作業をしてみたいと思います。
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劉 珊 LIU SHAN
作品内容/イラスト、映像、メディア・アート
連絡先/メール carloe@sea.plala.or.jp
連絡先/URL http://www10.plala.or.jp/carloe
プロフィール
中国青島出身。
現在、京都精華大学映像専攻在学。
インタラクティブ・コンテンツとイラストを中心に制作しています。 『BACA-JA 2003』ブロードバンド部門受賞 『キャノンデジタルクリエーターズコンテスト2003』web部門受賞
作品はNHKデジスタに紹介されるなど、軌道に乗って表現活動を展開中。
作品制作におけるコメント
イラスト、映像、ウェブデザインとインスタレーションを制作してきましたが、私はずっとアニメーションを描きたいと思っていました。 この展覧会を機に、念願の初アニメーションの制作になりますが、内容はこれまで一貫してきた「日常の感触」についてです。
ぼーとする一人の時間に、誰でも経験した空想やささいな出来事を形にできたらと思います。
タイトルの「あっ あふれた」は、まさに平凡な日常にあったりするトキメキそのものを垣間見る一言です。だらしなさ、緊張感、透明感や喜びがまじり、想像が満ちる液体のようなイメージなのです。
描いてるうちに、主人公の少女が昔から私の中に生きているかのように思えます。描き出すというより、彼女の呼吸、しぐさを見つめて、丹念に写し取っているような気がします。
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今展のコンセプトについて
まずはアニメーションの物語から、人物と背景を分離してみることから始まります。 劉は人物をアニメーション表現で映像として会場の壁面に投射しますが、
陳は物語の背景を実物で会場内に配置しました。 人物だけが物語の進展を説明するように動き回っていると思われがちですが、 背景のセットは環境設定の説明にとどまるのではありません。
みんなが日常で経験する表情――笑う、泣く、くつろぐ…など――を記号として応用しながら 漫画は(この場合は主人公の少女ですが)人物の生命、性格、息そのものを表現しているのです。
肉体という実体を持たずに、キャラクターがあなたに語りかけているのは不思議でしょう。
その一方、変哲のない椅子は「椅子」としか見えないのはなぜでしょう。 ひょっとしたら座面に落ちた髪の毛や血痕を発見したら 我々は想像によってその物質に生命の痕跡や気配を感じるのです。
人々は言語以上に様々な記号を用いて物事を分析して理解するのですが、 記号にならない直感や感覚をどう記憶するのでしょうか。 映っている映像を見て会場に現れる物に触れたら、
記憶の断片を拾ってあなたは自らオリジナルの物語を書き上げることになるでしょう。 |
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陳 維錚 works |
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劉 珊 works |
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