約一年半前のニュートロンでの個展が久しく感じられる程の活動を繰り広げる大舩真言。その後も個展、Biwako Biennale 参加、また来年初夏にはパリでの大規模な展覧会も決定している。大舩の活動は美術館やギャラリーのような所謂「箱」の中だけではなく、様々な場所でも展開 している。例えば、作品をとある海岸に設置し、写真に収める。その写真は大舩のコンセプトが凝縮されたものであり、それそのもので自立した作品でもあるの だ。多岐にわたる彼の制作活動だが、今回は個展という展示形式で、彼の持つ世界観が遺憾なく発揮されるだろう。
私はなぜか大舩の作品と向き合う時、その力強い存在感とは裏腹に、どこかしら楽しげな、そして切ない「散歩」に出かけた気分になる。目的をもってどこか を目指すのではなく、ただひたすらに自分の気持ちの赴くままに散歩する。「あっちに行ってみよう」と思うこともなく、行きたい方向へのんびりと歩く。そん な中で見つける小さな感動。その感情は次第に大きく自分の中に浸透していく。みとれている事に気付かぬほどに作品の奥へと引込まれていく。
「Principle」と題された京都展では、東京での光や、空気、匂い、温度といった日常に感じる自然感との繋がりとは打って変わって、果てしなく遠 ざけられた世界のようにも感じとれる。しかしそれは私たちが花びらや石ころに深く魅せられる瞬間があるように、決して非日常的な出来事ではない。大舩が生 み出す宇宙観とは、私達皆が心の深部に持ち得ている、それそのものなのである。
東京と京都。二つの都市を繋ぐ大舩の連動企画。大舩が紡ぎ出す空間は東京でも京都でもなく、どこかの空間、いつかの時間が流れる特別な場所になるだろう。
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