大舩 真言( おおふね・まこと)展  「Principle」
  2009.2.17tue〜3.1sun gallery neutron
 
 

 約一年半前のニュートロンでの個展が久しく感じられる程の活動を繰り広げる大舩真言。その後も個展、Biwako Biennale 参加、また来年初夏にはパリでの大規模な展覧会も決定している。大舩の活動は美術館やギャラリーのような所謂「箱」の中だけではなく、様々な場所でも展開 している。例えば、作品をとある海岸に設置し、写真に収める。その写真は大舩のコンセプトが凝縮されたものであり、それそのもので自立した作品でもあるの だ。多岐にわたる彼の制作活動だが、今回は個展という展示形式で、彼の持つ世界観が遺憾なく発揮されるだろう。

 私はなぜか大舩の作品と向き合う時、その力強い存在感とは裏腹に、どこかしら楽しげな、そして切ない「散歩」に出かけた気分になる。目的をもってどこか を目指すのではなく、ただひたすらに自分の気持ちの赴くままに散歩する。「あっちに行ってみよう」と思うこともなく、行きたい方向へのんびりと歩く。そん な中で見つける小さな感動。その感情は次第に大きく自分の中に浸透していく。みとれている事に気付かぬほどに作品の奥へと引込まれていく。

 「Principle」と題された京都展では、東京での光や、空気、匂い、温度といった日常に感じる自然感との繋がりとは打って変わって、果てしなく遠 ざけられた世界のようにも感じとれる。しかしそれは私たちが花びらや石ころに深く魅せられる瞬間があるように、決して非日常的な出来事ではない。大舩が生 み出す宇宙観とは、私達皆が心の深部に持ち得ている、それそのものなのである。

 東京と京都。二つの都市を繋ぐ大舩の連動企画。大舩が紡ぎ出す空間は東京でも京都でもなく、どこかの空間、いつかの時間が流れる特別な場所になるだろう。

 
 
gallery neutron 桑原暢子
 
 
 
 

「Prism」2009.1.10sat〜2.1sun gallery neutron tokyo


 いよいよこの時がやって来た。

 neutron tokyo のオープニングを飾るのは、まさにこの新しい空間に光と時間の流れをもたらし、訪れる人々を緩やかに地上から天空へと誘う、大舩真言の全館を使ったワンマンショーである。

 大舩は日本画を出自とするが、その作品は決して画面だけで完結せず、展示空間と密接に関係しながら、鑑賞者の出現によってその空間における機能を果たす。

 もとより、素材とする岩絵具はその名の通り、鉱物を砕いて出来た画材であり、厳密に言えばそれらは砂粒である。とすれば、その一粒一粒に質量を伴い、そ の一粒が存在することによって陰影が生じ、その集合体としての絵画には必然的に途方も無い数量のそれらが密集していることになる。我々が絵画=平面として とらえている限りは、その無数の質量の集積は微量のマチエール程度にしか感じられないかも知れないが、ひとたび彼が用意する空間との共鳴に気づく時、ある いは時間の流れに伴う光の加減や周囲の気配の変化に気づく時、それはもはや一瞬たりとも同じ表情を見せない存在であることを発見する。彼の展示は絵画とい うメディアを用いた繊細でダイナミックなインスタレーションであり、翻って私たちが画面の中に目を凝らせば、そこにはまるで宇宙規模の現象が広がっている かも知れないことに気づくだろう。宇宙とは私たちの頭上に横たわる天空(マクロコスモス)だけではなく、私たちの意識の中に広がる無限の領域(ミクロコス モス)をも意味する。

 各階の空間の特性を生かした大舩ならではのインスタレーションでは、彼の全シリーズが展開される。地中から天空へと昇るのか、はたまた夜が次第に明けて いく様か。彼の世界観が凝縮され、鑑賞者の意識の中で多様に拡散されるだろう。それこそがまさに、「Prism」(光を屈折させる透明の多面体)たる由縁 である。

 
 
gallery neutron 代表 石橋圭吾