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まずはじめに、この問題作家、平井友紀の作品解説を私がしなくてはならないという不思議な状況に困惑を感じながらも、この作品を通して平井の作品を「全く意味の分からない別次元のアート」として見ている方々に、平井作品の紐解き方を知ってもらう事が出来るのではないか。それは他の作家の作品に対する考え方を拡張する一助になるのではないかと思い、引き受けることとしました。 平井は現在(2013年3月24日)ニューヨークに滞在しながら制作を続けています。インスタレーション、写真、ペインティングなど、作品のアウトプットは多岐にわたり、今回は「契約」を作品として発表することとなるわけです。 そして、この文章は彼女らしく不躾に送られてきた、今展示の“ステートメント”と、この作品の重要な説明となる“契約書”から、私が考えられる範囲での解説として添えるものとなります。 この契約は作品購入者に一年間頭を撫でる事を許可する権利、外出の際は「指定の帽子」を被る(事により他者には触れさせない)、特設サイトにて公開報告を行う。前述を違反した場合いの罰則規約。 完遂後にはその特設サイトを文章化した書籍、外出の際に着用した帽子、帽子を着用したセルフポートレートの譲渡を受けることが記された契約となっている。が、後半の譲渡に関しては単なる記録でしかなく、作品としての先進性もなく、それほど重要なものではないと思います。 そして上記契約内容から分かるように、平井作品「頭を撫でる事を許可する」は、頭を撫でる行為が重要なわけではないことがよく分かります。この作品において平井は「撫でる行為」と、ほとんどの時間であろう「他者から撫でられない行為」を一年間課される「契約」を作品としているわけです。このことから作品としては「頭を撫でる事を許可する」時間以外が重要となります。 その行為を通じた関係自体が作品の本質であることは、ステートメントからも読み取ることができます。 この詩的なステートメントを読み解くことは、とても難解ながらも、多くを語っています。私が理解した重要だと思われる部分を抜粋し説明してゆきます。 しかし、そこを覗き込めばいつも、 不自由だけど心地よい幻想の私(?)が 微笑んでいることでしょう。 の箇所では、契約者が有する権利で、契約者が彼女に触れていない時間をイメージさせるものです。この契約関係によってのみ最大限に有することのできる「触れていない時間」を「考えている」契約者の事が書かれています。 何度も、指をすり抜けていく。 明日という過去や現在をまだ来ていな未来へ、”FREYA” 流れる。 ここで出てくるFREYAは、ロリー・リードの著書「月の魔法」に出てくる月の女神、フレイアのことで、ここでは前文から読みとるに寓意としての幸福、もしくは月と取るならばバイオリズムの変化があることの認知と解釈すべきだろうと思います。 超個人的なこと、超奇跡的なことだけが、
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