奈良県を拠点に、自らプロジェクトを立ち上げて精力的に活動する、知る人ぞ知るアーティスト。日本画からはみ出して余りあるバイタリティーと創造性は全く他の追随を許さない、唯一無二の世界。確かな技術に裏打ちされたパワフルな展示は京都をも揺るがすことだろう。
gallery neutron 代表 石橋圭吾
日本画を修得し、従来の因習やしがらみから外れて、より自由で活発な創作活動を繰り広げる作家達が近年、増えているように見える。技法の巧さが有ればこそなのは言う間でも無いが、その閉ざされた(ように見える)日本画界から様々な影響やジレンマを抱えながら独歩していくのはさぞ大変なことのように思える。しかしながら、ここにきて三瀬が格闘している部分はもっと別の場所、別の次元に存在するようだ。それは本来、画家が、あるいは芸術家と言われる者達がそうあるべきかのように、根源的で精神的で、現代的な問題である。
彼の作家としての活動は極めて頻繁で、そのどれもが多大な労力と時間とを惜しみ無く使ったものでありながら全く歩を緩めることなく、疾走している。この現状で、彼自身が当然ながら時代の情報や日々の生活、仕事、あらゆる批判や批評にまみれながら走り続けて来た。その結果、芸術家としてよりも一種の「活動家」的な見られ方さえ感じられるようだ。「出る杭は打たれる」では無いが、時代の先端を行き過ぎると周囲の理解はなかなか追い付かず一方で好奇の目線やいわれのない批判に曝されたりもする。三瀬が各地で受賞歴があるのはむしろ恵まれていると言えるかもしれない。
地元の奈良県をアートで活性化させようとする試み(写真家・大西正人とのコラボレートシリーズ)に見られるように、彼は土着のもの、自然のものに愛着を示し、一方で決して自らの域をそこだけに留めない。三瀬の作品スタイルもまた次々と変遷し、貪欲にそして豪快に生み出される作品群はどれも圧倒的迫力で我々に迫り、ある種の緊迫感さえ与える。彼は時には自身の内包するジレンマや衝動を激しく画面にぶつけ、時には幼少の頃の記憶を基にメルヘンチックな小人の世界を見せ、ときには祈りの表情さえ浮かべて見せる。自らの記憶や思考に真正面から向かい合い、触発され、そして制作に打ち込む。そこにあるのは作品を作ることが大好きなやんちゃな青年の姿でありながら、一方で少しでもアートで何かを変えて行こうとする立志者の姿である。
では彼が抱える問題とは何か。
それは一言で言うなら「純粋」であることの難しさであると思う。自分に対し、他人に対しそして「絵」に対して純粋で居続けること。前述のように激しく疾走する過程においてはその真直ぐな道をひたすらに進めば良いが、ふと立ち止まり、さて次はどうしようかと思った時、彼が気付いたのは泥のようにこびり着いた(過多な)情報と、次第に失われていくように思える自分の「純粋」な感情であった。世に言う「天才」的な伝説の画家たちは生涯における多数のエピソードに語られるように「子供」のままであり続けたと言うが、我々にはもはやそれは許されないくらい、日々の生活の中で要らぬ情報や知識が飛び込んで来る。三瀬だけでなく我々の脳は多大なる電波や信号に侵されている。自然を愛でる一方で携帯のメールを打ってみる。それが「純粋」で無いと言うのでは無く、現代のこの状況でいかに自分の作りたい作品をダイレクトに表現してみせるか。結局のところ、それに尽きると言ってもいいかも知れない。優れた技術と豊かな発想があるからこそ到達できる問題である。
意外にも京都においてしっかりと根付いていない、作家としての三瀬の有り様。今回の企画展はコンセプト云々ではなく、「純粋」に作品と向かい合う展示でありたいと思う。彼が付けたタイトルは、『わたしは絵が描きたい』である。 私はその絵が見たい。