ニュートロンアーティスト登録作家 寺島みどり TERASHIMA MIDORI
絵を描く事は旅する事。そして絵が旅をして、ギャラリーに 辿り着く。
平面という領域でひたすらに自己の探求の旅路を目指し、その足跡は鑑賞者に道筋として確かに示される。
作家・寺島みどりが2009年に挑むのは、大阪・東京・ 京都の三都市を巡るトリコロール・ツアー。
各地の「色」を反映しつつ全て新作で会場ごとに異なる作品を用意する。
まさに一大叙事詩としての三つの展覧会を、各地でぜひ体験して頂きたい。
ツアーの締めくくりとなる京都で、どんな景色が立ち現れるのか、注目必至!!
◆この展覧会は「見えていた風景」と題された三つの展覧会の最後にあたります。大阪展、東京展は下記の通りの日程で行わ れます。
・2009年3月9日(月)〜3月28日(土)
『見えていた風景 - 森 - 』 @Gallery Den (大阪)
http://hb6.seikyou.ne.jp/home/g-den/
・22009年3月25日(水)〜4月 12日(日)
『見えていた風景 - 空 - 』 @gallery neutron tokyo (東京)
http://www.neutron-tokyo.com
ニュートロン代表 石橋圭吾
2009年の寺島みどりから、目が離せない。この一連の展覧会は作家とギャラリーによる企画であると同時に、Gallery Den(手島美智子代表)とneutronの協力関係の上に成り立つものであり、大阪のGallery Den、東京のneutron tokyo、そして京都のneutronという三都市・三ギャラリーを巡るトリコロール・ツアーの様相を呈してもいる。トリコロール(フランス語で三色 (主にフランス国旗を指す)の意味)とはそれぞれの土地柄を表すだけでなく、そこで作品から(あるいは作品が)体験するであろう出来事も含んだ、三つの旅 路の景色の意味でもある。
寺島が自らの制作を「旅」と称するように、作品を作り上げる過程はもちろん、その作品が各地のギャラリーに辿り着き、初めてそこで人と出会い、また戻っ てくるまでの出来事は皆、様々な「色」にも例えられよう。寺島作品の一つの特徴が、作品によって異なる画面の「色」に在ると言えるが、それぞれのギャラ リーの現場にもまた特色が存在する。寺島みどりと言う一人の作家から発せられる表現にはもちろん多くの振幅があり、一つの色に染まりきることはない。人間 として喜びも悲しみも怒りも優しさも、あるいは強さも弱さも、躍動も停滞も入り交じりながら、常に画面にはその当時の作家の心情と、それを投影するに至っ たきっかけとしての出来事と、さらにそれを生む経緯としての社会的な出来事や状況が潜んでいる。プライベートとパブリックは決して切り離して存在できるは ずはないと私は考えるが、寺島絵画はまさにその通り、究極の自己投影であり、同時にこの時代に生きる私達全てがリアルタイムに共感すべき事象であり、過去 から現在へと続く車窓の眺めである。その光景は常にゆっくりと変化し、やがてそれまでとは別の場所へと繋がって行く。
私はよく新幹線に乗るが、同じ経路を行ったり来たりするはずの風景に、同じ印象のものは二つとして存在しない。私にとって18の頃に一人東京から京都へ と旅立った時に見た風景と、今のそれとでは大きな違いと言う程のものは無いのだが、見飽きたという気持ちになった事は一度もない。だからと言ってずっと車 窓を眺めている訳でもなく、ふとした時に見る光景は常に新しく、同時に見覚えがある。完全な未知も、完全な既知も存在しない、曖昧な記憶と現実の光景の連 続。そもそも、本来の景色とは太陽の光、空気の澄み方、雲の流れ、季節の色合いによって千差万別であるから、突き詰めれば今日と明日とでも同じではない。 今と一時間後でも然り。では、少なからずそれらに影響を受ける人間の心象はどうであるかと言えば、言うまでもなく移ろいやすい。昨日までの悲しみは今日に なって少しだけ癒え、明日になれば笑顔が作れるかも知れない。今日の喜びは束の間のものであることは、赤ん坊で無い限り、知っている。しかし明日の困難も また、いつか去るであろうことも予感する。私達の心は常に一定ではなく、複数の感情の要素を含ませ、一瞬一瞬でどれかが大きくなったり小さくなったりはす るものの、無くなることはなく、またそのメーターを上下させ、表情を変化させ、人を楽しませたり悲しませたりする。「真っ赤」も「真っ青」も実在はしな い。在るのは常に混濁した色であり、単色に見えてもそこには必ず感情と絵具の配合がある。
2006年11月にneutronでは初の寺島みどり展を開催して以来、2年と少しの時を経て、寺島みどりは一回り大きくなった姿を見せてくれるであろ う。当時「旅人の胸」と題された個展には三つの大作が並び、まさに名前の通り「緑」色の景色には安堵のような落ち着きと少しの好奇心が見て取れた。しかし 近作では、当時の穏やかで確固たる地平は霞か雲の彼方に霧散したのか、見当たらない。ひたすらに目の前を覆う叢(くさむら)や雨粒や吹く風を顔に受けてい るようだ。その先に何が待ち構えているのか、手探りではあるが、確かに何かが在るのは感じられる。それを希望と呼ぶのは、楽天的な冒険家だけに許されるも のでもあるまい。私達は皆等しく、旅をしているのだから。