neutron Gallery - 森 太三 展 - 『Rain to Rain』
2011/2/15 Tue - 3/6 Sun gallery neutron kyoto (最終日21:00迄)
森 太三 (彫刻/インスタレーション)

無機的な生産・消費物を素材に用い、手仕事によって細分化の果てに集積する行為から、見る者を優しく包み込む有機的イメージを実現させる気鋭の彫刻作家。
屋内外問わずその試みは常に極上のインスタレーションとして、忘れ得ぬ光景を生み出す。
軽量粘土を粒状にして連結・集合するシリーズ「Rain」の最新形は、白壁を塗らす涙雨か…。


 
「Rain for a space / Ghost of mountain」
2010年 / installation 撮影:表恒匡


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gallery neutron 代表 石橋圭吾

 「基本的には依頼を受けた案件は断らない。」と自ら言い切る森太三にとって、だからこそしばしば、困難な状況やフラストレーションの溜まる機会が訪れる。インスタレーションという表現が時と場所、それに関わる人々と干渉し合う事によって成立する以上、表現者の理想的な環境ばかりが用意されるとは限らず、むしろそうでない事の方が多いだろう。しかし、作家にとって理想的な環境ばかりを求め、リスクや困難を避けて通ることは、必然的に作品あるいは表現を自らの温室に留めることになるため、結果としては作家あるいは作品の成長にとって不可欠と思われる外部からの試練を遠ざける。即ち社会の中で表現し、影響を与えるべきはずの表現者がその役割を半ば放棄するようなものである。私が好んで森太三という作家に展示機会を設けようとするのは、彼がどんな状況であれインスタレーションを実現しようと果敢に挑戦し、かつことごとく成功させているからに他ならない。

 2010年の彼の活躍ぶりは、それだけで彼の表現のキャパシティーと実力を指し示すだろう。まず3月のneutron tokyoでの個展では、軽量粘土のカラフルな粒を連結させて、スダレのように垂らしたものを壁面いっぱいに展開し、色彩と微細な立体感による風景の現出を試みたかと思えば、一方で(実は得意とする鉄の造形を活かし)黒い鉄板によって形成された箱に上述の粘土粒をぎっしり詰め込み、器の中での色彩と質感の妙味を感じさせた。かと思えば別の壁面には初の発表となるドローイング(木の板にインクペンで木目のような筋が描かれているもの)が掲げられ、彼の彫刻的世界観が平面にも落とし込めることを証明してみせた。

 続く「富士山展」では、多くの平面作家が富士山をそのままモチーフにする中、彼は意表を突いて3776m(富士山の高さと同じ長さ)の糸を床にぐるぐると巻いた状態で置き、そのあまりにも「低い」存在感に笑いと驚きを誘った。同時に粘土による小さな彫刻作品で、山を擬人化したようなシリーズを出していたのも見過ごせない。さらに7月の京都・祇園祭のシーズンには文椿ビルヂングの空室で、内からではなく窓ガラスを通じて外から見せるインスタレーションを出現させる。軽量粘土の粒のシリーズ「Rain」を発展させ、あたかも山の稜線を浮き立たせるような「Ghost of mountain」は浮遊感と色彩の奥行きが軽妙で、イメージの世界のスケールは広大であった。

 さらに秋には各地でのアートイベントに参加。京都府亀岡市での「丹波国分寺跡アートスケープ」ではコラボレーションによる制作で水田に大量のランタンを浮かべ、荘厳な道標はゆったりとした時間の中で光とともに印象をうつろわせた。滋賀県での「湖族の郷アートプロジェクト2010」では倉庫の中に白い壁面を自ら立て、真っ白な蛍光灯の灯りに白い粘土だけで構成する「Rain」を展開した。彼は色彩の影響を充分に知っており、時に自らの表現の中で色の影響が強くなったことを察知して、リセットするように色彩を取り払うことがある。すると今まで色彩によって楽しまされていた私達の目は、今度は形状そのものに向かうようになり、実は彼の表現の本質は微妙な凹凸や大きさの変化、それらのミニマルな質感の繰り返しによって生じる壮大なイメージの出現にこそあることを知る。そして昨年最後の出展となった、宇治市の黄檗山萬福寺の方丈(僧侶のプライベート空間)での展示では、お寺の随所に見られる中華様式の円形の文様や特徴的な黄色(萬福寺のキーカラーである)を取り入れ、細い円柱上の木材を輪切りにして(その切り落とし幅は変化を付けている)その断面に印刷物や写真から色彩だけを抽出したものを張り、色調や配置に変化をつけながら縁側に並べることによって、石庭の枯山水とも響き合うランドスケープを生み出した。ここに見られる印刷物の取扱いや木材の使用は彼にとって新しいことではなく、ここに紹介しきれない制作発表の蓄積の中から選ばれた手段であることも書き添えておきたい。

 そしていよいよ、5月29日に終焉を迎えようとしているneutron kyotoの特徴的なガラス張りギャラリーに森太三が再び挑む。前回(2009年)は粘土粒を大量に敷き詰めて大海原を出現させたが、果たして今回は…。私が望むのは、この空間及びそこで出会った人々、起きた出来事全てに対しての惜別のオマージュであり、一つの空間を離れる上での「洗い流し」とも言える、そんな雨を降らして欲しいと言う事だ。