瓜生 祐子 (平面)
パネルと布の重なりにうっすらと蓄積する緻密で微細な描画によって私達の「食」の有様が広大なランドスケープに変貌を遂げる!
驚愕の筆致と画面構成力によって、プリンアラモードが、カレーライスが、そしてパフェが…
海へ山へと想像力をかき立てながら導かれる先には、美術と美食の幸福な邂逅が。
gallery neutron 桑原暢子
瓜生祐子の作品と出会ってからすでに3 年の月日が流れようとしている。その間ニュートロンにて、回廊での個展も含めて3 度の個展を開催し、2 度のグループ展に参加した。この回数を多いとみるか、少ないとみるか…その作家の制作スタイルによって異なるだろう。瓜生の場合、作品や技法を見ればわかることだが、とても時間がかかる作品であり、この回数は決して少なくはない。周囲から見れば少ないと思われる展示経験の中で、着実に彼女の描く世界は進化している。
ここに前回東京個展の際のコメントを引用したい。
瓜生の作品の魅力は大きく分けて二つある。それは技法とモチーフである。瓜生の技法は丸いキャンバス(時には四角)にアクリル絵具で直接イメージを描き、その上から綿布を覆いかぶせ、鉛筆を用いて細部を描く。非常にシンプルな方法ではあるが、このような例を他では見た事がなく、まさに瓜生独自のものだと言ってもよいだろう。この綿布を被せるという過程により、パネルにのせたアクリル絵具が淡い色彩となって透けて現れ、また鉛筆の繊細な線もキラキラと輝いて見せられる。そうして作られた画面は遠くから眺めるのと、至近距離で見るのとではまったく違った表情になる。近くから、遠くからと鑑賞者と作品との距離を変えさせることは、瓜生が作り出す世界にはとても重要な要素なのだ。
なぜそこまで距離が重要なのか。それは描かれるモチーフにある。先に書くとネタばらしのようだが、瓜生は一貫して食べ物を描いている。食べ物は生きて行くために必要なものというだけでなく、フランス料理や日本料理などに見られるように「魅せる」食べ物も存在する。またそれは特別な場合だけではなく、日常生活においても私たちは彩りを意識して料理をお皿に盛りつける。鼻で香りを堪能し、舌で味わい、会話を楽しむ。このように私たちは、きれいに飾られた料理をまるで絵画を楽しむようにまずは目で楽しむ。だが、瓜生は美しく盛りつけられた料理やケーキをそのまま描いているのではない。誰かの手によって作り上げられたお皿の上のご飯やケーキを、食べ崩す事によって生み出される新たな形を地形と見立てて描いているのだ。しかし瓜生の作品は一目見ただけですぐにそれが食べ物であるとわかるわけではない。一見するとどこかの景色を描いた風景画のようなのだ。遠くから見ると食べ物になり、近くで見るとどこかの景色になる。このように鑑賞者の立つ位置によって作品の表情は一変する。
作品の見え方は人それぞれだが、私には瓜生が描くその景色の中に人物を見つけることができない。もしかしたら人気のない少し寂しさを感じさせる景色に見る者を引き込むために、その世界の住人たちはどこかに隠れているのかも知れない。私たちが遊ぶその世界は、この世のどこにも存在しないどこかで、だけどそれはいつかどこかで瓜生が確かに見た、お皿の上の景色の中なのだ。