neutron Gallery - ALEX ASHTON 展 『made to measure』- 
2003/10/27Mon - 11/2Sun 京都新京極 neutron B1 gallery

日本の伝統工芸にも通じる箔やテキスタイ ルを用いて自然の現象や「気」を表現する。シンプルな構図に隠された奥行きと繊細な世界観は京都の気風にもリンクし、時代を超越する印象を与える。




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gallery neutron 代表 石橋圭吾

  今年もまた、アレックスがやって来てくれる。思えば昨年の9月、まだ完成に至らないニュートロンの地下フロアにおいて、ギャラリーのプレオープン企画として(5階と同時に)開催したのが、彼女の個展であった。イングランド在住で、特に世界的に名が通っているわけでもない彼女ではあったが、かねてより日本をはじめとするアジア地域に関心があり、とりわけ京都での個展開催を希望した彼女が自ら選んだのがニュートロンであり、2回目となる今回はこちらからのオファーでの来日となる。
  地元イギリスをはじめヨーロッパでの企画は精力的にこなしているが、いわゆる時代の潮流的な作品制作とは一線を画し、あくまでパーソナルな表現をマイペースに進める彼女が、ニューヨークではなく京都に所縁を求めるのは決して不思議な事ではない。作品に顕われる「和」のイメージを見るまでもなく、こだわりと伝統を持った歴史的風土と進取の気風を孕む京都そのものが、彼女に多大な影響を与え、第2のホームグラウンドになりうる要素を存分に含んでいると言えるからだ。

  企画書制作段階で近作の資料を見てまず感じたのは、その作品における明らかな変化の兆しである。いや、作家は常に変化し得るものだと解すれば別に不思議は無いのだが、この1年の間に見て取れる変化は個人的に劇的に映る。一番に印象的なのは、以前より特徴付けてきた強い色彩の画面の上に、得意のシルクスクリーンで刷られた「具象」的なイメージ達である。昨年の個展、あるいはそれ以前のものを見渡しても、ここまで具体的にイメージが刷り込まれているものは珍しい、というかほぼ無い。従来の画面構成や印象を崩すことなく、むしろその上にあたかも「本来在るべき」イメージのごとく存在する様子は、彼女の作品が次第にその輪郭とテーマを明確に発揮してきたと感じずにはいられない。上の文章に、「時代の潮流とは一線を画し」と書いたが、はからずしもこのスタイルにはグラフィック的な軽やかさとイメージとしての奥行きが在り、私が日本で、この京都で日々感じている「旬」の表現とも結びつき、驚きと喜びを受け取ったのである。

  しかしそもそも、イギリスと日本はその「オタク」度合いにしろどこか湿った空気にしろ、あるいはアメリカという大国を良くも悪くも意識せずには居られない性格とその影響にしろ、合い通じる部分が少なく無い。グラフィックの分野でもファッションでも音楽でも、新時代の到来を感じさせる表現の多くはイギリスから生まれ、日本はその瞬間に反応し、またそのフィードバックを返している。あるいは日本のサブカルチャーもまた、イギリスにとってしかりである。この関係性に組み入れていいかは不明だが(いや、どちらかと言うと彼女はロンドンに代表される都市部の「スノッブ」の効いたスタイルには否定的であった)、今ここに目にする作品には、そのように感じずにはいられない「イメージ」が消化され、馴染んでいる。草履のパターンよりも親近感を覚えるのはそのグラフィック的な人物像である。資料に目を通しただけでも、「様子見」の前回とは違い、作者の本気具合が見て取れる。
  いくら無視をしようとしても、我々の世界はリンクしている。否応無しにイメージは刷り込まれ、増殖し、細分化し、個々に浸透する。この時代に生きている我々がその多様な影響と恩恵を受けるのは必然である。厭世的な印象すらあったアレックスの作品にこのような変化と絶えざる進取の姿勢が感じとれ、なおかつこの京都の視線に新鮮な印象を与えることができたら、これは素晴らしい喜びである。