スポーツとアートの純粋なる接点で制作する作家が、2002年6月の『GOLD MINE』 以来の企画に挑む。十八番の「野球」をテーマに、宇宙と人間の真理に迫る?
gallery neutron 代表 石橋圭吾
スポーツとアートとの結びつきは、魅力的でユニークな試みに思えるが、なかなか容易な事では無い。 得てして、スポーツの範疇における「モニュメント」的なものとして収まりがちで、現代アートの側面からの アプローチは稀であると感じるのは、やはり相互の性質の違いからであろうか。
築山は大学では立体造形を学び、在学中にはステンレス等のメタリックな質感のオブジェと有機的なものとの 関係を模索するような作品を主として制作してきた。しかしながら彼の本領は、自らが「スポーツバカ」と 称する程の野球やサッカーに対する入れ込み様によって趣味と制作とを兼ねて?か、発揮されてくる。
そもそも立体造形や彫刻の分野においては、見るものを圧倒するまでのスケールとそのシンプルな造形の 対比によって「馬鹿馬鹿しい」説得力をもって語られる事が少なくない。「なぜこんな役に立たなさそうなもの」を こんなにまで一所懸命に作るのか?「こんなものを置いてどうするのか?」など、沸き上がる素朴な疑問は尽きない。 スポーツもまた然り。よくよく考えれば、大の大人がむきになって一つの球を追っかけ回し、一喜一憂する。 ある者は勝敗によって人生の明暗を分け、ある者はそこに打ち込むことによって存在の意義を見い出す。 アートとスポーツは、その本質的な「役に立たなさ」とそれに打ち込む姿の「純粋さ」において似ている。 美術作家(特に男性)の中で、学生時代にスポーツをしていた者は意外と多い。ここにも両者の結びつきと本質が 見て取れるような気がする。
2002年の6月、ニュートロンの5階ギャラリーにおいて築山と私は『GOLD MINE』という企画を催した。 折しもワールドカップが開催される時期を狙って、金色のモニュメントに映像(サッカー選手のイメージビデオ)を 投影し、頂点にはサッカーグラウンドを色鉛筆で描いてあるという趣向であった。全て成功したとは言いがたいが、 少なくともスポーツの格好よさと馬鹿馬鹿しさ、アートのそれらを醸し出していたとは思う。
築山はその後、一番のおはこである「野球」にさらに傾倒する。
今回の企画展においては、私自身は制作段階において何らの口出しや手伝いをしていない。
従来の面白さに加え、今回、築山は野球場という「場」とボールという「物体」に宇宙と人間の存在を見い出した。 何とも馬鹿馬鹿しいが、私は本質的に賛同する。人間の営みは理屈や意義だけでは説明できないことが多い。 宇宙の真理も、今だ数字だけでは解明できないことが多い。アートもまた然り。
野球やサッカー観戦に行ったことのある人なら、少なからず味わったことのある高揚感と一体感。その場における エネルギーの噴出は、形は残らねど記憶に焼き込まれる。それは表現という全ての行為から受ける感動に共通であろう。
築山の投げ込む直球は、ずばっと「ストライク!」といくだろうか。まずはご覧頂きたい。