どうしようもならない想い 過ぎ去っていく日々
毎日、息を吸って吐くように、線を引き、ことばを紡ぎ出す。
終わりの無い作業は生きるということそのもの。
スケッチブックに描かれるのは、全ての迷いを昇華する繊細な線描。
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gallery neutron 代表 石橋圭吾
スケッチブック(クロッキー帳)に綴られた毎日のことば。 あるいは落書きのようにも見える、いたずらに伸びる線画。 これらは木築にとって作品制作の基本となる日々の産物であり、 呼吸による二酸化炭素のごとく自然に排出されるものだと言う。
個展や作品のタイトルからして、あるいは作品に添えられた言葉からして、 どうも彼はセンチメンタルな人物らしい。 一般に芸術家と言われる人々が多かれ少なかれ世間との隔絶を感じたり パーソナルなコンプレックスを抱え、それが創作の原点ともなるように、 彼もまた例外で無くそのような「負」のエネルギーを蓄え、 制作という行為によって昇華しているのであろう。 これらの一連の行為を彼は、クールにも「呼吸」のように日常的なものとし、 あえて「表現」と言い切らないあたりが、逆にその悩みを深く感じさせる。
とは言え、彼の描く絵は親しみ易い。 厭世的で他人を排除しようとするものではなく、むしろその逆である。 彼自身は徒然なる想い(どうにもならないこと)を綴っているに過ぎないのかも しれないが、それはとても魅力的で琴線に触れる絵となって表れている。 それに附随する言葉の直接的な影響力が強い分、絵とメッセージのギャップに とまどうことすら有るが、あまりそれに捕われ過ぎず、 見る者が自由に線描から感じることの方が重要で、楽しい作業になろう。
これらは全て、具象的なアプローチで描かれている。 しかしそれをどのように見るかは何の制約も無い。 近作では従来のフラットな線が徐々に強弱を見せ始め、そこに感情すら漂う。 いわゆるボールペン(水性ゲルインクペン)から引かれる線は、 こんなにも私達を魅了し、俳句のように隙間を持ち、 人間の心の揺らぎを見事に写し出しているように感じる。