シンプルだけど奥の深い「線」の表現。今回、ニュートロンは「線描」にこだわっ て、企画グループ展を考案しました。それぞれの参加者の「線」は多種多様。空間を 切り取る線、触れる線、発散する線・・・などなど、単なるドローイングに留まらな い幅広い表現の可能性が現れることでしょう。豪華なメンバーによる楽しい企画。ぜ ひ、ご覧下さい!
gallery neutron 代表 石橋圭吾
この企画は、「線」を引く、描くという行為を通じてそれぞれの表現を成り立たせ、あるいはそこに深い洞察力と探究心をもって取り組む作家を選び、各々の「線」を発表しあうことによって、「線描」の表現力の可能性を探ろうとする試みです。ひとえに「線」と言えども、ドローイングとしてのものでなく、完成された線描、あるいはそれに近いものを集めようと思います。ドローイングとしての(作品の青写真として、あるいはスケッチやイラストレーションとしての)線も魅力的ですが、今回は完成された線に焦点を絞り、その奥行き、存在、技法、イメージなどを掘り下げつつ、なお魅力的な作家及び作品を紹介する展覧会でありたいと思います。作家の選考(現時点での)は全て企画立案者である石橋が行います。
光島貴之は失明というハンディキャップを背負いながらも「エイブルアート」や「アウトサイダーアート」の枠内に留まらず国内外で高い評価を得ています。彼はペンを握る代わりにラインテープとカッティングシートを用いて線を描きます。色彩とユニークな形象を見ると彼にとっては目が見えないということがハンディではなく触覚と想像力を働かせる源になっていることに気がつかされます。
船井美佐は日本画を学んだ後、その技法や伝統有る空間の様式美と、自身の中で渦巻く妄想的な造形とが響きあい、増殖するイメージをシリーズで描いています。線を引くことによって境界が生まれ、そこに別の空間が立ち現れる喜びと、次元を超えたイメージの広がりを感じさせます。
吉田憲司は無意識の中でペンを握った腕を動かす行為の果てに、自らの気持ちの良いと感じる絵を常に追究しています。まるで定規を使ったようにしか見えない直線も、有機的な曲線も、彼の魔法のような表現力によって常にシンプルに、奥行きをもって見えてくるのです。
SHINJI OKADAの線は輪郭を表す意味での線と、インクを注いだ末の集合体としての線とふた通りの見え方があります。筋肉や細胞が活き活きと蠢くような有機的なフォルムは、彼の熱いメッセージとともに見る者の心を掴むことでしょう。
石井貴子は映像作品を様々な方面に展開する、今最も可能性を秘めたマルチクリエーターと言えるでしょう。縦横にスクロールする線描の手法によって音楽のイメージを増幅させる作風は印象的で、今回はその「線」にスポットを当てての新しい試みとなります。
笹倉洋平も同じく音楽からのインスピレーションは大きいものがあります。しかし単なるグラフィックとしてだけでなく、彼の迷路のような神経細胞のような線描は、大胆にも白黒反転させる見せ方によってさらに線そのものの存在を浮き彫りにし、表現の自由度を与えているのです。
このように各出展者の「線」は一つとして同じものは有りません。しかし彼らに共通するのは、「線」を引く事によって生まれる喜びや時に悲しみ、あらゆる感情やメッセージを生み出す端緒としての行為であります。スケッチブックに悪戯に鉛筆を走らせたり、教科書のページの端にグルグルとペンを弄んだことが誰しもあるように、言葉になる前の心象や表現の原型(そして最終形)が、「線」に有る様に思えて仕方ありません。そんな魅力的な「線」の誘惑に一時、心と体を委ねて頂きたいものです。