変容する生命・願望、ロマンチックな造形を経て「日常は毎日している」というテー マに到達。生活の中のモチーフに特殊な生物を重ねて提示。そして生まれる共感とコ ミュニケーション。
gallery neutron 代表 石橋圭吾
作家が物作りを志し目指すものは人それぞれなのだろうが、少なからず共通していると思われる理由(目的)は、「自分という存在を確認する」こととそれに伴い「他者とのコミュニケーションを(作品を通じて)期待する」ことだと思う。すると山田シローの多様で複雑に見える作品世界も、実は1本の糸が解ける様にスルリと見えてくるものが、確かにある。
彼は本来立体造形の分野を学んで来たことからして、どんなに難解に見えるインスタレーションを指向しているように見えても、やはり「物」を作り、それによって空間や鑑賞者に影響を与えることには間違いないだろう。彼の生み出す「物」は少しづつ、確実に変化しながらも根本では繋がって来た。大きく分けて2000年までと、それ以降(2001年以降)ではちょっとした変化が生じる。制作初期から2000年までの期間の彼の多くの作品傾向として、実在の生物をモチーフとしながらもそれが大きく変化したりスケールが拡大したり、さらには特殊な機能を大きくクローズアップしたり、といった「変容」を視覚的に感じとることが容易にできる。英語でいえば「metamorphosis」が近いのだろうか。生物学的な進化が環境や諸事情による機能の変化を基にした緩やかな変貌を指すのに対し、彼の作品が表すそれは極端で突発的な変貌に見える。外見のイメージの極端な印象の裏に潜んでいるのは、実は生物の内面に存在する欲求や思考が噴出し、「形」を通じてその存在を訴えかけるような作品群である。1998年の「飛べない翼」ではシンプルに人間の脳みそと蛾を比較し、「飛ぶ」という人間には唯一?不可能な能力を暗示しそれに対する直接的な願望と思考を巡らせる。同じく同年のギャラリーCOCOにおける個展でも、「飛ぶ」というイメージから発生した巨大なFRPの翼をギャラリー空間いっぱいに広げてみせた。彼の特徴として、同じモチーフや同種のテーマをいくつも抱えながら常に考察を加えて、複数の展示にまたがって発表することが挙げられる。1999年の「永遠の育成→蕾」の御影石の大きな椿は、実は遡れば以前にも登場しているし、2000年の同時代ギャラリーでの2人展にも現れる。また「花」という拡大解釈で見れば2000年のギャラリーOUにも登場するし、彼の根底にある「ロマンチックな」一面をしっかりと感じさせるのである。そして1999年のマロニエ、2000年の同時代ギャラリーの発表と重ねるにつれ、彼は自己の存在に食い入る様に疑問をなげかけ、質量や形態を物質的に解きあかそうとし、さらには精神(感情や思考)と肉体(物質)という2つの要素を混在させ比較する手法をもって、「山田シロー」という人間をモチーフにしながらも普遍的な疑問を提示する。これらを通じて一貫して彼は「自己」を究極に問いつめることにより作品を制作してきた。そして私達鑑賞者はそれをただ眺めるに過ぎなかった。
そんなスタイルに変化が生じたのは2001年の「もっとも〜た。かけら」以来だろう。従来の生物的考察は明らかに影を潜め、そこには私達誰しもが普段目にし、使っている洗面台と鏡が有るのみである。そしてその鏡は表面がぼこぼこに凹凸し正体を映さず、洗面台には毛糸が覆われている。そして2002年、彼の最も近作となる信濃橋画廊での発表で、その全貌が明らかになる。ちゃぶ台、ハンガー、シャワーなど日常の最もありふれたシーンを使いつつそこに仕掛けられた・潜んでいる数々の景色と行為の積み重ね。永遠に繰り返されるような(途方もない)退屈と人生の悲喜こもごもの象徴たるそれらはもはや誰のものでも、誰自身でも無く、環境として・道具としてそこに存在している。しかし私達にとって時代の共通項と言えるのはこういった道具達であり、それを通じてこそ通じ合える「何か」は存在するとすれば、山田シローは確実に門を開き、外気を取り入れて私達とコミュニケーションを図ろうとしている。今回の新作発表ではこのスタイルを踏襲し、さらに従来の「生物・変容」をも取り入れて見せる予定である。そこには一人の人間としての作家の歩みと成長、そして今だコミュニケーションツールとして美術が果たしていくべき・いける可能性を提示してくれることになるであろう。