neutron Gallery - 新井良子 展 - 
2004/11/1Mon - 7Sun 京都新京極 neutron 5F gallery

当たり前の感覚や平易な表現を大事にし、生活の中で 「女」として感じる幸せ、喜び、切なさを短歌で書き留める。赤裸々な感情もされりと、流麗な日本語で詠む感性は詩的で美しい。





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gallery neutron 代表 石橋圭吾

5・7・5の俳句では言葉が足りない。 かといって、散文や詩のような自由な形態では、かえって言葉の行き先が見えづらい。5・7・5・7・7のリズムで成り立つ「短歌」こそは、新井良子にとっては最も相応しい、表現の奥行きと心地良い束縛を与えるフォーマットなのだと感じる。ことばを紡ぎ出す行為において個人個人の持つ韻律や抒情は多種多様であり、日本語の素晴らしい点は古くから愛される因習としてのルールや形式が既に存在し、それを打ち破るも自由、それを愛するのもまた自由、という「ことばの文化」の実に奥ゆかしい歴史の在る点であろう。そして新井良子はその「しきたり」にきちんと乗っ取りつつ、当然ながら今現在の生活の中で使われる当たり前のことばを活き活きと登場させ、息苦しさを微塵も感じさせないほどの「呼吸」を短歌を通じて行っていると思える。

彼女はまた、「女性」という自らの存在をも素晴らしく肯定的に捉え、 (もちろんその過程においては、女としての喜び・悲しみも感じさせるのだが)いわゆる「ジェンダー」の定義や意義が問われ続ける昨今において、「女性である」ことを素直に楽しみ、そこから享受するあらゆる出来事や感情を 短歌というこれまた形式的な手法によって見事に昇華していると思える。だからこそ男性の私から見ても単に赤裸々な告白としてではなく、「嘘」が無く正直なことばの綾に人間として感情移入できる。そして彼女自身が認める様に、「普通」であることがとても素敵なことばを生んでいる。 奇を衒わず、小手先の言葉遊びに没せず、皆が等しく感じ受け止められる言葉を当たり前に、それでいて印象的に紡ぎ出すこと。 簡単なようで実はこれが難しいことだと後から気付く位、自然なことば、短歌。

新井をはじめ多くの女性にとって恋愛や仕事、独りという存在は欠かせないテーマとなる。 登場するシーンやモチーフは現代的であったとしても、きっと平安時代の短歌もさもありなん、と思わせる美しく平易な表現。これは短歌を本当に自分の表現として愛しているからこそ、また、愛しい気持ちを伝えずにはいられないからこそ、そうなるのであろう。 ことばは自分一人のためだけにあるのではなく、誰かに気持ちを伝えるためにこそある。そう感じさせるのは、ここに詠まれる全ての短歌が愛に溢れ、愛を求めているからだろうか。「素直な気持ちを伝えるために」選ばれ、滑らかな絹のように綴り織られたことば達は、永遠の恋心を秘めて「あなた」に読んでもらうのを待っている。