自然を破壊し争いによって地球を滅ぼさんとする人間。消費される為に作られ た偽 物の毛皮(=フェイクファー)を用いて、生き物としての人間を考察する。「ヒ ロキ トンボ」から改名。
gallery neutron 代表 石橋圭吾
鈴木ひろきは、今年1月の個展では「ヒロキ・トンボ」という名義で発表を行ったので、フェイクファーを用いた作品に見覚えがあってもこの名前にピンと来る人は少ないだろう。
しかし、未だ学生である事を考えれば肝心なのは名前より制作であり、その延長線上にある意欲的な発表は注目に値する。
彼は絵画としての平面から、次第にフェイクファーという素材に興味を移し、それを使った平面、立体、パフォーマンス等を発表している。
しかし基の絵画に表れる事象も実は「生物」あるいは「動物」を扱っていたものが多く、彼の考察の根本にあるものは変わっていないと見るべきだろう。
フェイクファーとは、私たちにとってどのような存在なのだろうか。
本物の毛皮とは違って、それは人工的に模されて作られたもの。
では、何を模しているのだろうか。毛皮の質感だけだろうか?
太古の昔、人間が毛皮を身に纏うことは寒さや外的から身を守るためであり、
言わば生活の必需品としてのものであった。
しかし文明の発達とともにその需要は変化し、繊維加工が発展してからは
毛皮という原始的な素材はその由来する動物の価値や大きさによって評価が為され、高級収集品としての存在に移行する。もちろん、実用品でもあるのだが、
今の時代に至っては暖を取る、身に纏うという目的を果たすものはいくらでも存在する。
動物愛護の視点からも攻撃の対象となるが、発展途上国にとっては重要な資源でもある。
皮肉ながら、愛護を叫ぶ側はそれを手に入れるだけの財力を持つ先進国の人々であり、生産国である途上国の人々にとっては、毛皮は石油や鉱物資源と同じである。
もはやそれらの天然資源が枯渇する事も承知し、人間は未来のエネルギーを探すのに必死で知恵を働かそうとするが、何をやるにもエネルギーが必要で、また資源を使う。
一体、二酸化炭素を削減しようという気は本当にあるのか?
火星に安住の地を求めれば、それで解決するのか?
フェイクファーは人間の欲の象徴であり、同時に石油資源の産物でもある。
確かに動物は傷つけないが、人間の歪な支配欲、顕示欲を増長させているとも言える。
何としあわせな人間!
そのフェイクファーを扱うことは様々な考察や意見を引き出すだろうから、
鈴木ひろきにとっては格好の素材である。
しかしあくまで「素材」であり、彼にとってはツールのはずである。
私たちは偽の毛皮を纏ったものの本質を見なくてはならない。
と同時に、不思議とかわいらしく思えるそのもの達に、敬意を払うべきかも知れない。
なぜならそれらは、もはや人間という愚かな生き物にとって、最後のペットなのだから!