neutron Gallery - ARUN K. SHARMA Japan Exhibition - 
2004/12/13Mon - 19Sun 京都新京極 neutron 5F gallery


ニューヨークから京都に留学中のアラン・シャルマは、陶による立体作品を制作、その展示発表においてはインスタレーションの形式をとり、観客との無言の対話を 推進する。宗教や哲学を経て、人間は何を模索していこうとするのか。ここに展示される、苦悩する赤ん坊のような存在は彼自身の問いかけでもある。






純粋は可能か?  

  多くの宗教や哲学を勉強し影響を受けながら、私はよくそれぞれの人々の終着点について考える。様々な思想の構造において考えを巡らすうち、私はいつもその中で私自身を見つけることに困難を感じている。いったい、宗教や哲学は何をしようとしているのか?私達を神の近くへ連れて行こうとするのか、あるいは私達自身の下へか?私達の真実を受け入れることを許そうとするのか、はたまた偽りの環境から連れ出そうとするのか?心の責任を負わせたいのか、心を開放しようと言っているのか?答えを差し出しているのか、それともさらなる疑問を私達に持たせたいのか?
  私はこのような疑問と闘っている多くの人々を知っているし、共にそれを経験している。人々は何千年も前から今日に至り世界中で書かれた書物により、世界と人々の目的を導きだす。人々は自己の深層を探る為、何百年も何千年も計画して時間を費やしてきた。
  ここにある作品は、宗教や哲学に転向した多くの人々を私がどのように捉えているかを、少しだけ表している。神に近付くため、世の中をより深く洞察するため、あるいはこの世界の中で(または彼ら自身の中で)平穏でありたいと思うがために宗教に着目する人々は、ある意味では純粋な心を取り戻そうとしているように思える。それは私に、無垢な幼少時代を思い起こさせる。感情や感動に対する経験と依存がほとんど無く、ましてや知識など無いあの頃。私達の誰もがかつて知っていたにも関わらず、やがて忘れてしまったあの頃。

アラン・シャルマ