京都名物、鴨川のカップルを季節を追って撮影。アナログな切抜きによって素朴に 引き立つ被写体は、カフェに隣接するここでこそ楽しみたい。二人の幸せをお裾分け・ ・・。
生き物のかたちを見ていると、その複雑さにいつも驚く。
そこから私の頭の中は色と形がひしめきあい、様々なものが浮かび上がる。
今回、特に恐竜や昆虫などを選んだのは、いろんなことがもっとシンプルに原点にかえればいいという想いがあったからかもしれません。
しかしそれはきっかけで、そこから生まれた色彩と形の重なりを楽しんでもらいたいと思っています。
gallery neutron 代表 石橋圭吾
2003年の春の初個展、2004年の個展とグループ展等を経て、いよいよ武内咲子を大きな地下ギャラリーで発表する事になる。嵯峨芸術大学の専攻科、研究生を修了し、日進月歩で成長を続けるこの作家は、実に目覚ましい程の新作を用意して今回の個展に臨むことが出来そうだ。
元来、嵯峨芸術大学の洋画出身者にはこの時代における「現代美術」たるものの様々な影響を良くも悪くもあまり感じさせず、言わば純粋に「絵を描く」ことに没頭し、驚く程に個性的で自由奔放な作品を制作する者が少なからず見受けられ、武内もその例外では無い。その作風は一貫してダイナミック、カラフルでありながらユーモアに溢れ、見る者を惹き付けてやまない魅力を備えている。モチーフにもその独自性が現れ、食べ物や動物、恐竜などが突拍子もなく描かれるものの、不思議とその描写に違和感を感じることなく、我々は多彩な色の世界に引きづり込まれる。「可愛らしい」で済まされる程度のレベルは通過し、今やそこに美術本来の豊かな価値観の創造、鑑賞者による自由な考察が許されるようになってきたと感じている。巨大なクワガタの背中は赤いリンゴとシンクロし、憶病者の大きな亀は楽しくトッピングされたアイスクリームやパフェとも見える。女性ならではの「食べる」喜びをストレートに表現しているのも特筆すべき事であるが、さらに言えば絵を描く喜びをダイレクトに感じさせる作家だとも言える。初期においては色使いは比較的濃淡の境が少なく、濃厚で重厚なぼってりした画面が多かった様に思うが、近作では画面におけるコントラスト、特にハイライトの使い方に成長の跡を伺わせる。多色なだけでは疲れてしまうし結局のところ作品もぼやけてしまいがちだが、背景やモチーフに白及びそれに近い明るい色を印象的に使うことにより、我々の目線は一気に焦点を合わせ易くなり、結果として画面に奥行きも生じる。また、昨年くらいから描写においても緩やかでソフトフォーカスな部分と、細い線描によるクリアな描写とのバランスが機能しだし、メリハリを付けることが可能になった。今回の新作を写真で見る限りでも、さらに大きく、大胆に、自由に描かれているのが充分に伝わってくる。恐竜の「骨」の白さと画面構成も見逃せない。シュワッと炭酸が弾ける様な上昇感は我々を一気に想像の世界へと連れて行ってくれそうだ。
恐竜(人間以前の動物でありながら、絶対的なスケールと強さを感じさせるもの)と小動物(愛玩用の生物であり、か弱いもの)の取り合わせや、生活感がヒシヒシと伝わって愛嬌を感じさせる食べ物シリーズ。一見このミスマッチなモチーフは、しかしそれぞれが武内の中の様々な感情や願望を表す潜在的な存在であり、一方でそれは同じく鑑賞者(特に同年代の女性)にとっても通じるものがきっと有るであろう。描いているのは単なる想像によるお伽話ではなく、むしろ現実の生活から派生する夢と希望と時に失望の象徴でもある。この自由な絵を狭苦しい美術的概念に閉じ込めることなど最初から無意味であり、この絵を鑑賞する側にも、知らずに身についた多くの束縛的観念を取り払う必要がある。しかし、実はそんなことをしなくても、多くの人間はワクワクしながらこの絵に見入ることができる。「絵画」とか「平面」というつまらない概念の迷路に囚われていない人以外は。