京都名物、鴨川のカップルを季節を追って撮影。アナログな切抜きによって素朴に 引き立つ被写体は、カフェに隣接するここでこそ楽しみたい。二人の幸せをお裾分け・ ・・。
gallery neutron 代表 石橋圭吾
昨年、「マグナム」の一員でもあり、「決定的瞬間」で有名な写真家 アンリ・カルティエ・ブレッソンがこの世を去った。 今では何気なく当たり前のものとして見てしまう町中の表情や 行き交う人の仕種、佇まいなどに優しい眼差しと芸術としてのフレームワークをもって 写真という術を人間の日常にぐっと近付けた彼の功績は言うまでもなく大きい。 そして、今やカメラは携帯電話のレンズで取るものだとさえ思われている昨今、 あえてアナログの道具を持ち出して高いフィルムを買ってまでレンズを向けるべきは、 一体どんな被写体になるのだろうか?
寺澤将幸は、一人旅を通じて旅先の人々や風景の表情を切り取る事に魅力を感じた。 日本はもちろん、中国、インド、チベット、ドイツ・・・などかなり多くの国を訪れる。 被写体も子供たち、動物、お店の軒先、草花などいわゆる「王道」的な視線であるが、 どうやら「環境」問題にも関心が強いらしく、一部そのような視点から撮ったシリーズも有る。 それらに大きく共通するのは、やはり愛おしく見つめる視線だろうか。 実はここ10年以上、写真界の流行はもっぱら個人的な(私的な)ものに移り、 赤裸々に自分や身の回りのものを描写することが良しとされ、 美醜よりもリアリティーや奇抜さが求められてきた。 しかしその結果、丁寧なフレームワークと技術によって個人の意図を前面に出さずに撮るものは オールドファッションとされ、あまりもてはやされることは無かった。 ブレッソンの死はそのようなジェネレーションギャップを改めて浮き彫りにしたが、 同時に写真という表現の窮屈だがやはり魅力的な可能性を再認識させたとも思える。 奇抜なアングル、手法、色彩、裸体に至るまで、デジカメや携帯が有れば誰でも撮れる写真は、 時代性を背景として資料的な価値は生じるかもしれないが、もはやリアルタイムにおいて 私達の心を震わすことは極めて難しい。 なぜならそれはあまりにもありふれて、掃いて捨てたくなるほど存在するのだから。 人々の目が自然と旧来の写真、あるいはそれに由来する新しい写真に向くのは、 結果として妥当な事なのかも知れない。 だとすれば、寺澤は極めてタイムリーな発表を行う事になる。 題材は京都名物、鴨川のカップル達。 等間隔で並ぶ彼らを一月毎に一枚選んだ写真を展示する。 実は背景と人物はそれぞれ白黒とカラーで別プリントされたものをわざわざ切り貼りしている。 これが妙な懐かしさと面白みを出しており、味わい深い作品に仕上げている。 「京都府河川課」や「京都精華大学 斎藤光教授(「鴨川等間隔の法則」でお馴染み)との コラボレーションとも言える企画でもある。
写真は再び、幸せを切り取ろうとしている。