neutron Gallery - 池田 奈穂 展 - 
2005/2/7Mon - 13Sun 京都新京極 neutron 5F gallery

スポーツとアートの融合をひたすら目指す、お馴染み「ますぞう」こと築山が、今回発表するのはフィギュアコレクターとしての目線から生まれたインスタレーショ ン。ギャラリーの壁面に無数に巡らされる穴、穴、穴・・・。これは単なる設置場所としてのものか、それとも現代人の心穴か・・・。


 
 もし人類が、社会的に凶行とされている殺人や誘拐を起こさないために、前述の『何の役にも立たない』『下らない』『一銭にもならない』ことをしているのならば、その行動は極めて重要な愚行と呼べるのではないだろうか。
 私は作品を、余った熱量の放出という意識でつくった記憶はない。が、大量のカロリーを消費しているのは事実である。この作品を発表することによる社会的影響など微々たるものであろう。あいも変わらず抵抗力の小さい女性や子供が狙われた凶悪事件が起こるだろう。
 しかし、どんな作品を世に送り出そうとも、この『暗いニュースばかりの世の中』を無視することは絶対にできない。かつて、愛と平和を謳ったあのジョン・レノンでさえ世界から戦争や凶悪事件を取り除くことはできなかった。彼は一体何カロリー程消費したのだろう?と考える時がある。考えている時間があるのなら制作しなければ!とすぐに忘れてしまうのだが...
 この展覧会で、少しでも『熱量』を感じてもらえればと思う。


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gallery neutron 代表 石橋圭吾

 彼がどれだけユニークな立体造形作家であるかは、お手元の資料あるいは 会場に置いてあるファイルを見て頂ければ、一目瞭然である。 にもかかわらず、築山の作家としての評価は必ずしも芳しく無い。 いや、それどころか彼のやろうとしている事を評価すべきターゲットが居ないのでは? と考えざるを得ない程の状況である。それは即ち、彼の目指すべき目標においても。 築山は単純に、スポーツを愛する。主に野球、そしてサッカー。 造詣がより深いのは野球であり、作品にも如何なくその愛情表現が発揮される。 しかしそれは単にスポーツ的なオブジェを創る行為とは、別次元の行為だ。
  彼はスポーツとアート(を始めとする表現行為)は根本的に同質と捉えている。 プロスポーツプレーヤーの日々のトレーニングと、 芸術作家の生みの苦しみは本質的に同じ物だと思っている。実は、私もそう思う。 しかし世の中では、既に二つの領域にはっきりと線が引かれ、中間は許されない。 例えばイチローを敬愛する他分野のプロフェッショナルが沢山居るのにも関わらず、 あるいは彼を「芸術的」と賞賛するにも関わらず、美術雑誌にそんな話題は登場しない。 あるいは誰か有名な彫刻家がイチローのメモリアル像を作ることを依頼されたとして、 もしその彫刻家が前衛的なフォルムで表したら、きっとブーイングを浴びるだろう。
  それがイチローのしなやかな動きを巧みに表現していたとしても。だからこそ、築山のやるべき事は多く、進むべき道は険しい。 単なるスポーツ馬鹿なだけでは、この道は歩めない。根性も、運も、全て必要だろう。 今まで私が見てきた彼の作品はどれも、シンプルにスポーツに対する夢を感じさせる。男のロマン、とでも言うのだろうか、馬鹿馬鹿しいのと紙一重のそれらは、 しかしどこか何かが足りなかったのかも知れない。 単にスポーツをネタにしているに過ぎない、と思われているのかも知れない。 だからこそ、今回の作品に期待する。
  彼のステートメントを読む限り、それはとうとう、 スポーツを通過して人間への考察に入ろうとしているからだ。 スポーツも、アートも、人間の行動の一端に過ぎない。 しかしだからこそ、人間はそれに感動を覚える。 彼のやるべき事は、たかが二つの分野にまたがって行われるべきものでなく、 人間というユニークで馬鹿馬鹿しく、感動的な生き物を表すべきなのだ。 ここに登場出現する赤い壁の無数の穴は、人間の抱える多くの心の穴かもしれない。 または、もはや虫食いのように空けられた地球の未来を暗示しているのかもしれない。 築山が発する「エネルギー / 熱量」は、寒い冬に暑いくらい発せられることだろう。