日本画の装飾性と美術本来のエンターテイメント性を現代に蘇らせ、「娯楽絵画」のコンセプトの基に絵画とグラフィック・デザインを自在に行き来す る。昨年の「vol.2」に引き続き、さらなる進化を遂げる注目の展示。時代の要求と自身の表現の欲求の核心に迫れるか!?
gallery neutron 代表 石橋圭吾
「娯楽絵画」とは、日向一夫の一貫してテーマとする「絵画の娯楽性」を体現するためのコンセプトであり、その展覧会におけるタイトルでもある。今回で自身3回目となる同タイトルの個展は、前回のニュートロン5階ギャラリーでの「vol.2」とは少し趣を変えそうだ。彼の持ち味である、日本画を出自とする緻密な画面構成とデザイン性、及び中間色を活かした色彩はグラフィックとしてのインパクトと絵画としての重厚さを兼ね備えているが、前回はどちらかと言うと絵画としての作品よりも会場構成におけるカッティングシートによるグラフィックに目が行きがちで、結果として両者が同居したというよりも殺しあった印象が拭えない。両者のさじ加減の問題とも言えるのだが、決してそれはグラフィック及びデザインがサブとしての位置付けに有るからでは無い。彼のカッティングシートによるグラフィックは作品としての性質も兼ね備えている。日本画そのものが元来、装飾性を多分に孕んでおり、それは現在のグラフィックやデザインにも多大な影響を与えている。もちろん彼としてもそれを踏まえた上でさらに絵画としての領域と、それに附随する展開に自身の個性とデザインセンスを発揮して行きたいのは間違い無い。しかしまずは、「絵画(作品)」有りきだとすれば、デザインとは必要に応じて変化するものであり、順序で言えば絵画作品を引き立たす、あるいは絵画の中で発揮されるべきものである。グラフィック・デザインそのものは「作品」とは言い切れず、メッセージを内包した上で「要求されて」成り立つものだからだ。つまりは日向は自作の展覧会においてグラフィック・デザインを自らに要求し、それを作成する。ここで作品との距離感や序列を乱すと、観客はどちらをもって優先的に感じるべきか迷う事になり、必然的に全体としての印象は散漫になってしまう。今回の「vol.3」ではその辺りをどう消化して、提示して来るかが見物である。
一方、作品そのものに発揮される彼のモチーフ及びメッセージとなる部分も、極めて興味深い。いわゆる「レトロ」から「レトロ・フューチャ−」と呼ばれる古びたSF調の世界観まで、日本画という領域をパロディにしながらも活用するしたたかさと重なり、効果的であるのだろう。「絵画」や「デザイン」という外見の面白さは、ツールの使い分けに過ぎないとも言える。作家としての日向に求められるのは、むしろソフトとしての世界観のより充実した提示であろう。それはすなわち、彼が描かんとする現象が単なる珍しさやアイデアの面白さで片付けられる事無く、メッセージとしての本質的な力強さ、ギリギリの表現欲求から生まれた切実な感覚をどこまで伝えられるかにかかっている。もしデザインや多彩な趣向がその邪魔をするようであれば、それらは必要では無いのかも知れないのだ。私は策士が策に溺れない様、期待しながら発表を待ちたい。