neutron Gallery - Jesse Birch 展 『 vacancy in progress 』 - 
2005/5/21 Sat - 6/5 Sun gallery neutron kyoto


カナダ出身、京都在住の写真家が新しいニュートロンのトップを飾る。常に時代の 空虚感を表す「vacancy」を追い求める彼が今回提示するのは、日本での生活によっ て一層募らせる「現在進行形の不在」。「何か」が足りない、欠けていると感じてや まない日常の中で写真に収められる事象には、「何か」が写っているのだろうか。





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gallery neutron 代表 石橋圭吾

 いよいよリニューアルオープンするニュートロンにおいて最初の個展となるのが、カナダ出身の写真家、ジェシー・バーチによる『vacancy in progress』である。vacancyとは空(から)、空き地、空虚、空間などを意味する。in progressは「進行中の」「現在進行形の」という意味であるから、直訳すれば「進行する空虚」あるいは「現在進行形の空っぽ」という風だろう。いずれにしても少し哲学的な響きを秘めているが、彼という作家において写真という技法とは別に、常に「存在」を思考するという性格があることを見て取れば、容易に頷けるタイトルだと言えよう。
 彼自身によるステートメントが実に的を得ている。母国カナダ、そして現在の居住地である日本を含め3カ国を4年の間に移動して活動してきた彼は、そのいずれにおいても自分のDNAレベルでの「存在」を確信するには至らなかった。カナダ人という国籍を取り払えば、彼はどの国の人にも成り得ただろうし、一方でどの国にも属することは出来なかったであろう。「グローバル」な世界は私達に広く開かれた世界を提示するが、それは対岸から見ると理想郷のように見えたとしても、いざ辿り着くと既視感と喪失感に包まれた平凡な国であるとすぐに気付く。実は私達は多くの事を知っており、どこか遠くへ行けばまるで知らない世界が存在するという夢のような話はとうに昔の事になっているのである。もちろん、国によって生活習慣も違えば言葉も信仰も異なる。しかしそれは予備知識として知り得る事であり、今や人類において「秘境」と呼ばれる地は皆無に等しいだろう。ジェシーにとってカナダも日本も、確かに魅力的な土地ではあっても、自分自身の遺伝子がその土地と響きあうと確信するに至らない理由は、一体何だろうか?あるいは人間は本来、何処かの土地に定着すべき生物では無いのだろうか?そう考えることは決して悲観的な事ではない。
 これらの写真には何も写っていない(空)が、それは彼に言わせると同時に「何かが起こりうる」状態でもあると言う。私は(日本人だからか?)「空」の状態とは過去の出来事を経て捨て去られた事象を強くイメージしてしまうのだが、彼は実に前向きに捉えている。しかしどちらにしろ、「空」は「無」ではない。そこには確実に何かが存在し(過去に)、将来何かが存在してもおかしくない状態なのだ。だからこそ我々は廃虚に惹かれつつ(過去の出来事に思いを馳せながら)それが取り壊された後の建築をもイメージできる(未来の情景を思い描く)。「空」は止まっていない。実は、一時の休息に過ぎないのかも知れない。彼が旅先で目にするそれらの「空」はやがて様々な目的、手段によって動かされ、再び熱気を帯びる。ジェシーのような21世紀の写真家はもはや自国のアイデンティティーに固執することなく、世界のどこに居ようとも問題を見い出し、それを記録する。そうやってまた私達の住む世界はさらに距離を縮め、写真と言う旧世紀のメディアの存在価値もまだまだ見直されていくのだろうか。