2002年末以来、実に久々のこの企画。絵画というフォーマットをより身近に感 じて欲しいとの思いから、出展者が思い思いの作品を持ち寄り、展示・販売する。5階では初登場の小倉ミルトンが、ユーモラスでインテリア性も備えた作品をずら りと見せる。地下では企画展の常連作家達がこの企画のために力作、小品などを用意。 もちろん、見るだけでもお腹いっぱいの好企画です!
gallery neutron 代表 石橋圭吾
この度、2002年末以来2回目の開催となる『絵画のヒロバ』において個展を開催するのは、一風変わったキャリアの持ち主である小倉ミルトン。「ミルトン」は自称の愛称のようなものであり、可愛らしいこの響きが既に作品の風体を予感させる。
彼が絵画を志したのは約5年程前のことであり、既に職を手にしている者の「好き」が高じての制作スタートであった。地道な積み重ねのほとんどは自己流のスタンスではあったが、近年では個展を開催する程に腕前を上げ、作品の自立性も格段に増している。静岡在住のため年に多くは京都に来られないが、それでも数カ月と開けずにギャラリーに訪れる姿は真摯な制作姿勢を表し、好感が持てる。何より、絵が「好き」だという気持ちから生まれる姿勢、それはすなわち絵の中にも当然のように現れるのである。
彼はA4サイズ程の絵を多く描く。そしてその周囲には必ずと言っていい程、自作の額縁が添えられる。「添えられる」という言い方は相応しくないかも知れない。額は彼の作品に無くてはならない存在であり、単に「縁取る」ことや「構図を切り取る」ことを目的としているものではない。もっと必然的に、彼の絵はその周囲の余白、さらに額縁と連動して成り立っている。色調や濃淡はもとより、その「絵」は彼のフレームに収まることによって完成し、存在を確立させている様だ。彼の作品はまるで植木鉢の様にリビングやベランダに置かれ、鑑賞される。この場合、彼の絵は植物であり額縁は「植木鉢」なのだろう。最初からそうやって扱われることを想定し(あるいは希望し)、制作されているかの様に。すると私たちが絵を見る際に平面としての意識を捨てきらない限りそれは2次元の産物でしか無い様に、彼の作品をぺったりとした奥行きでしか眺めないのは勿体無い。彼は絵画作品ながら立体的存在感を放つべくそのディテールにこだわっているのであろう。
また、絵の中に表れるモチーフも興味深い。時としてサイケデリックな文様かと思えば形象文字のごとく、普遍と凡庸の横をするりとすり抜けつつ、シンプルな姿で在ろうとする。それはまるでアートや芸術といったものが生活の内部に当たり前に存在出来る事を証明するかの様に。また、彼の言う「愛」(この場合、男女の愛等の限定的なものでなく森羅万象に対する普遍的なもの)がそこかしこに存在することを伝えるがごとく。今後、彼の絵はどんどんと「事象」そのものに近付いていくのであろうか。それは「絵」としての内容でなく、作品の存在自体が。まるで子供の頃に描いていた無邪気で奔放な発想と、デザインとしての計算が織り込まれたこれらの絵は、やがて多くの人を楽しませるに違い無い。