ニュートロンアーティスト登録作家 山本 太郎 (平面)
年始の風物詩?「日本゜画家(にっぽんがか)山本太郎がクリスマスからお正月 にかけて、今年も登場!意外にもニュートロンでの個展は初めて。
今回は今までのシリーズから離れ、新境地となる「エロス」に挑む!
知る人ぞ知る奇譚「長谷雄草子」を基に、オリジナルの絵画を創作。
男性の性(さが)、そして女性の性(エロス)を描く意欲作、吉と出るか凶と出る か?
gallery neutron 代表 石橋圭吾
とにかく、ここ数年の若手美術作家のキーワードは「日本画」である。「洋画」に対してのそれ、素材や技法を指すもの、はたまたモチーフや構図を踏襲するものとしての「日本画」。いずれも現代の若手と言われる作家(おおよそ20代〜30代)にとっては温故知新でもありジャパニーズカルチャーの逆輸入・逆評価の産物としてもスムーズに受容できたのだろう。昨今人気の高いの琳派や若冲を引き合いに出すまでもなく、絵を描かなくなった洋画の先端表現及び現代美術というカテゴリーの未だ不明瞭な印象に比べ、日本画と言われる領域のそれは一見古めかしく堅いように見え、実は歴史も浅く探究すべき余地が多いこと、さらには「絵を描く」という夢と諦めを内包した行為に没頭できるという点で、やはり若きクリエーター達は魅力を感じずにはいられない。
さてそこから先にどこを目指すか、その地平は様々である。ある者は様式美を継承し、またある者はメディアとしての「日本画」を再構築しようと試み、さらにはモチーフとして現代日本を描く事が日本画と言える、と宣言する者まで。ここに紹介する山本太郎(本名)はあえて自らの表現を「日本゜画」(にっぽんが)と称し、あたかも他の「日本画」追従者ならびにブームとしての表現とは一線を画そうとする。彼の特徴は素材も技法も、展示形態から服装まで(和装)いかにも「日本画」的ステレオタイプを踏襲して見せながら、実は描かれているモチーフが西洋文化の産物(コマーシャルの産物=東洋の精神世界と対極に位置するもの)であったりジャパニーズ・アニメやヒーロードラマのキャラクター(新しい日本文化の象徴)だという「落ち」に尽きる。そしてそれらは有名な日本画作品の構図をなぞらえて「パロディー」としての成り立ちを持ち、日本画を知る人も知らない人も楽しめる、という訳である。
しかし、そんな山本太郎にとってこの年末年始は試練となる。まさか2006年正月の飲み会から出た話がここまで膨らんで実現するとは、まさに「瓢箪から駒」。いや「山本太郎からエロ」は出るのか否か、というちょっぴり下世話で大真面目な企画なのである。何が真面目か、と言えば日本絵画を語る上で避けては通れない「春画」を思い起こして頂きたい。かねてから山本太郎の作風に欠けている要素を探っていた私は、戯作としての描写ではない、リアリズムを追求した上での人物描写、特に女性をモチーフにしたものを見たい!と勝手に思っていたところ、彼もまた思いきった新しい境地に挑戦したいと考えていた事から、話は進んだ。もちろん単にポルノグラフィ−を描くのではなく、物語としての可笑し味があり、裸体描写に切実な意味を有するものを、という本人のイメージから見つけだされた題材が、「長谷雄草子」である。内容は添付の資料を参照されたいが、山本は美術史的に一応の評価を受ける絵巻物(画家不詳)を参照することなく、オリジナルの絵画として描こうとしている。つまり、従来の「元ネタとの対比」というコンセプトではなく、完全にオリジナルの構図を見い出し、人物描写をする必要があると言う事だ。そして見せ場はもちろん、エロスでもある。会場の性質上、ならびに画家と私の意見も露骨な性描写は相応しく無いと一致している。「春画」としてではなく、絵描き山本太郎のエロスがどれ程か!という興味に差し換わる。そしてまた、インターネットに代表される情報の大海原で氾濫する、もはや神秘性の欠片もないポルノグラフィ−に対峙する芸術からの挑戦でもあるのだ。
いざ進め、山本太郎!日本゜のエロスを求めて!