ニュートロンアーティスト登録作家 加藤 元 (彫刻)
平面、立体造形、インスタレーションなどの手法を用いて「視覚」に訴えかけ、その危うさや記憶から引き出される心理を浮き彫りにする新鋭。ロンドンで学びこの春から京都へやってきて、キャリア初個展となる今回。樹脂やゴムでコーティングされた私達の世界は、その前に立つ私達の眼に本当にその世界として映るのだろうか。
gallery neutron 代表 石橋圭吾
穴が意味深に開いていると、人間はおよそ誰でも覗いてみたくなる。あるいは明らかに認識できるはずの馴染みのある物体、写真などが見られることを拒絶するように何かに覆い隠されている時、私達は記憶の中の「それ」の姿をどうにか実物として確認できないかと色々な角度から眺めてはみるものの、無駄だと分かった時、ふと「果してこれは本当に『あれ』なのか?」と自分の思い込みに懐疑的になったりもするだろう。
一連のこうした「見る行為」による様々な思考の流れ、視覚情報への素朴な懐疑、それらは加藤元の制作を通じて一貫して扱われているテーマでもある。
彼はロンドンにおいて美術を学び制作を行っていた期間が長い為、さながら京都においては遅咲きの新人といった扱いにはなるだろう。さらにキャリアの中で個展は初めてだというのも驚かされるが、グループ展への選抜経験や神戸のCAP HOUSEにおいての制作活動を見れば、その水準が低く無い事は確信できるのである。
彼は現在、京都市立芸術大学大学院に編入し彫刻分野に籍を置いている。「彫刻」という分野はもはや現在においては他の領域と同様、「何でもあり」の様相を呈してはいるが、加藤元の制作は本質的に「立体作品や空間を介在させての視覚表現」と捉える事ができるため、彼を一般的にイメージされる彫刻作家として括るのは少し的外れと言えよう。彼の問題意識は常に「見る」事から始まり、その考察に至るマジックが、彼の作品の持ち味でもある。彼の使う素材や技法は一通りにあらず、ある時は写真という直接的な視覚メディアを用いつつ、それに穴が開いていたり、樹脂で覆われていたりする。またある時はハリボテの山を存在させ、そこに穿たれた覗き穴の奥を見れば、精緻に作られた迷路の様な細い通路を目撃し、ミニチュアの世界に吸い込まれそうになる。またある時は制作室の床一面に黒いテントシートを敷いたうえで水を平らに溜めてみせる。するとそれは本人も驚く程の鏡面として機能し、そこに本来の床など存在しないかのごとく、映し出された世界の広がりを露にする。
そしてゴム素材でぐるぐる巻きにされた地球儀と、その遥か前方に見える(おそらく)「海」の景色。でもそれもまた表面を塗り重ねられ、はっきりと認識するには至らない。全ては私達がイメージの中から「おそらく」これだ、と思うことによって一応の名前をもって認識することは出来るが、本当にそれかどうかは不明である。だが私達は何かの名前、概念を持たないものを認めたがらない生き物だから、あえてそれが何なのかを知りたがる。
加藤元の見せるものは全てがフェイクだと決まった訳ではない。実は彼の側面にはロマンチストとしての感傷的な部分も垣間見る事ができる。それがこのトリックに人肌並みの温度を備えさせ、作品を通じてのコミュニケーションを円滑にする。そう、彼は即ち視覚を巡る考察を通じて私達に問いかけ、そして共に語らい、多くのイメージが生まれることを期待している。だからこそ私達はまた、彼の穴を覗いてみたくなる。