ニュートロンアーティスト登録作家 扇谷 美和子 (陶立体、インスタレー ション)
陶芸を出自としながら木、紙、ガラスなど様々な素材を用いて制作を行い、自らの内面世界と超自然の圧倒的な力を結び付けようと試みる気鋭の作家。「こわれもの」としての質感は一方で力強さを備え、観る者を惹き付ける。ニュートロンに羽ばたく「それ」は神のごとく存在するのだろうか?
gallery neutron 代表 石橋圭吾
この作家の学んだ領域が陶芸であったとしても、作品を作るにあたって使われる素材は土だけではなく木(枝)、紙、ガラス、石など様々であり、作品形態も様々である。未だ発表も少ないため現時点で全貌を把握することは出来ないが、おおよそ彼女の世界観の広がりは自らの内側に広がる内省的な小宇宙から、万物を育む自然界のさらに外側を包む(ある種の宗教的な)概念に至るまで、繊細でしかし大胆に構築されている様だ。もっとも、作家自身においても「構築」と言える程の手応えは感じられていないかも知れないが。
数少ない作品資料を見ると、その振幅が伝わってくる。ここ最近の作品の様に、比較的に色数が少なく淡い色調で、作品も「こわれもの」然としているタイプとは全く異質な作品が2003年当時に作られている。不格好でふてぶてしく、はっきり言えば「醜い」様相の2体の動物?作品はそれぞれ「わたしのはきだめちゃん クロ」「(同じく) クマ」と名付けられており、言うまでもなく当時の作家自身の醜悪な(と自ら感じた)部分を反映させた存在である。他にも数点、名を付けられる以前の「形」としての作品が存在するが、おそらくそれ以外にも多くのモノ達が、作家の悲痛で内省的な声を聞いて生まれては消えたのだろう。
それが一転、この展覧会に至る前までの唯一の個展(2005年 / 立体ギャラリー射手座)においては見事に洗練された作品を展開する。ほぼ白一色にまとめられた繊細な質感のそれらは作家自身の心の部屋を模すかの様にインスタレーション化されていた。木の枝で組まれた照明器具の下に置かれた椅子は小石、ガラス、木片などが平面的に組み合わさった視覚的な作品であり、作家の生活感の一部を反映させている様だ。壁にはレリーフ状のもの、木の枝が印象的な立体的なものが数点掛けられており、床には木片で組まれた小さな小屋がある。それらはやはり名付けられる前の感覚、感情、気配を形状化したものだと言えるだろうし、焼成を基本とした作品だからこそ作家の心の動きを手触りで感じることの出来る抽象的な具体とも捉えることが出来るだろう。
その後、昨年の5月にニュートロンでの小作品展に出展された馬の頭部の形状をした神秘的な作品以来、いよいよ今回の個展の作品が登場する。聞けば近ごろは超自然的な存在に深く傾倒し、自我を超越したモノとしての作品を見せたいと意気込んでいる。誤解の無い様に付け加えておくが、怪しい宗教に導かれているのではなく、彼女自身の実感として、俗世における意味や目的を超越した存在(それは結果的に生命のエネルギーに満ち溢れた創造主としての存在)を生み出したいという気持ちの現れであろう。材料には土に限らず彼女の得意とする素材が溢れんばかりに登場し、壁面に大きく羽ばたく半立体的な構造だと言う。ここで思い浮かぶのは、まだ在学中の2001年当時に作られた「よろこびの塔」と題された巨大な水道蛇口?のような立体作品、続く2002年の「愛のシャワー」(文字どおり、大きなシャワーヘッドを持つ塔)あたりの存在感だ。まるで岡本太郎の「太陽の塔」に負けじと垂直にエネルギーを放つ両作品の持つメッセージはポジティブであり、その部分において今回の大作にきっと繋がっていくのであろう。そうやって、作家の世界は広がっていく。