neutron Gallery - 大西 康明 展 - 『 inner skin 』
2007/9/4Tue - 16Sun gallery neutron kyoto
ニュートロンアーティスト登録作家 大西康明  (立体、インスタレーション、写真)

今年の春に「TARO賞」グランプリを受賞し、いよいよメジャーへの一歩を踏み出し た大西。不安定で不定形な存在を現す彫刻としての表現は、時にダイナミックに、時にドラマチックに我々を魅了して止まない。何も無いと思っている空間に存在する何かを、揺れ動く光によって炙り出す。繊細で巧妙な仕掛けをお見逃しなく!





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gallery neutron 代表 石橋圭吾

  私達の住む世界には、目には見えないが確かに存在するものがたくさんある。生物に欠かせない酸素を含む大気はもちろん、肌を焼く紫外線や暗闇で光る赤外線、あるいは放射能、X線、宇宙線なども肉眼では捉えられないが、確かに存在している。また、「風」はもちろん「気配」「揺らぎ」「澱み(よどみ)」という繊細な現象も、言葉で語られることはあっても視覚的に存在を証明することは難しい。では、そのような不可視の物質、現象あるいは存在を、彫刻という概念で表現する者がいるとしたら、どうだろう?
  大西康明はまさにその困難に挑戦し、見事作品表現として成功を収めるだけでなく、美術の領域だけに留まらない幅広いジャンルの人達に受け入れられ、支持を得ている希有な作家である。彼の用いる素材は他の彫刻作家とは異なり、ビニールシートや糸、光、空気といった、何とも頼り無いものばかりである。そして彼の作り出す作品はインスタレーション(装置的設営)として会場にこつ然と姿を現すのだが、その作品がそこに存在する以前と以後を比べてみれば、明らかに私達がその空間において見る / 発見する事象が多いのである。しかしながら、彼はごっつくて重い銅像やブロンズ像をこれ見よがしに持って来る訳ではないから、会場に存在するのは彼の考えた「ちょっとした仕掛け」と、「もとからそこに在るもの」だけである。「もとからそこに在るもの」とは、先述の「気配」や「揺らぎ」、あるいは「気の流れ」、目には見えないが確かにそこに存在する何か、の事を指す。それらを彼の編み出した「ちょっとした仕掛け」によって、炙り出しのように、じわりじわりと視覚的に私達に見せようとする光景は、とても安価で無機質な素材と単調なモーターの動きによるものとは忘れてしまうほど、ダイナミックで繊細で、有機的で、ドラマチックな出来事となるのである。
  一般に想像される彫刻とは違い、不安定で不定形なのが彼の生み出す表現の特徴でもある。そして単調な動きによって変化する様も、素材が極めて柔らかであるために、私達が普段は意識しない「気体」の存在によって大きく変化し、それらは同じように見えて一瞬たりとも同一の表情を見せないことに気付くだろう。さながら、海辺に佇んでぼうっと波打ち際を見ていると、いつまでも同じ運動が続いているように見えて、少しづつ海面は満ちて、あるいは干いてゆく。ただ私達は太古の昔から、このような単純な連続運動に生命体として根源的な何かを感じずにはいられず、まるで母親の子宮の中にいる時を思い出す様に、そのリズムに吸い込まれていくのである。大西のインスタレーションにはそういった種類のリズムがあり、そこから私達の記憶の何かが呼び覚まされる時、メロディーが生まれる。
  百分は一見に如かず。彼の作品こそはどんな資料で後から知った気になるよりも、ぜひ会場で体感すべきものである。彼のインスタレーションの代表的なものはブラックライトによってのみ照らされる空間において、ファンモーターが送る空気により膨張 / 収縮するビニールシートの作品群であるが、近作はブラックライトや暗転を用いずとも、明るい展示空間において半透明のシートや鏡面テープ、糸などを用いてのインスタレーションに移行してきている。相変わらずの精力的な活動が続く彼であるが、何と言ってもその名を全国区にしたのは、今年の春の「TARO賞」受賞であろう。音楽や建築、デザインの領域とも親しい彼の表現であるが、本来の美術のフィールドでいよいよ熱が高まってきそうな雰囲気である。