ニュートロンアーティスト登録作家 武内 咲子 (平面)
アイスクリームや恐竜など、ポップでユーモラスなモチーフをカラフルに描いてき た武内咲子が、昨年から作風を大きく変えつつある。単色による目くらましのような 発色の奥に、鳥獣戯画のように見えかくれする生き物達は、新たなる奥行きをもって 私達の目の前に姿を表す。
レイヤー(層)の重なりで成り立つ絵画は新境地を切り開くか!?
gallery neutron 代表 石橋圭吾
どんな作家にでも、それまでの作品のイメージが覆されるような劇的な変化が(自発的に)訪れる時期があるのだとすれば、武内咲子にとって昨年がまさにその時期にあたっていたと言える。ニュートロンでも毎年のように個展を企画し、カラフルでポップな色使い、大胆な構図とユニークなモチーフのペインティングは作家をイメージ付けるには充分なものであったようにも思えるが、本人曰く、ある選抜展にて自分の作品を客観視した際、「今の自分が本当に描きたいもの」とのズレを強く感じた事に端を発し、それまで秘めていた要素を開花させる道へと一気に進む事となる。
本来、武内の持つ想像性と作品の絵画性は普遍であるのだが、今、彼女が試みている事はいくつかの点においてそれまでとは全く異なる。まず、彼女の以前の特徴として100号超の大画面いっぱいに恐竜や動物、食べ物などの具象的なモチーフを色とりどりの絵の具で浮遊感を漂わせて描き表すものが多く、彼女の「お気に入り」のもの達の存在感と奔放な躍動感が伝わったものだが、今や彼女の画面には色彩というものは極めて限定されている。それを顕著にしたのは昨年(2006年)末に京都のアートスペース・虹で発表した新作個展においてであるのだが、それぞれの絵は赤、黄、緑といった単色によって塗られて印象付けられ、それは以前の様にモチーフの動きや浮遊感を表すものではなく、強いて言えば画面全体に影響をおよぼす背景、あるいはフィルターのような効果を発揮する為の色であった。何らかの理由で選ばれたそれぞれの色は、画面に向かう者に対して最初に強い目くらましの様な効果・印象を与えるものの、実はその画面に描かれている光景に目が向かうにつれ、最終的には鑑賞者は画面の色彩を意識しなくなる。描かれているのは「ぺインター」としての印象を裏切るような線描であり、しかもそれらは作家の意図によってはっきりと「なに」とは認識しづらく、この点においても以前とは全く異なる。武内らしい夢の中に出てきそうな動物達が見られはするものの、それらは以前の様に単体の存在で主張することなく、作家が彼等を少しづつ客観視し始め、さらには「鳥獣戯画」に見られるような複数の動物によるワンシーンを想起させる。言うまでも無いが、「ナントカサウルス」が唐突に眼前に現れるのと比べて、はるかにストーリー性は増したと見る事が出来る。
さらに前述の、単色による目くらまし的な色の存在、線描によるモチーフ、その絵画世界を繋ぐ柔らかな塗り重ねと、時として紙を重ねる手法は、(しつこいようだが)やはりそれまでとは違い、画面にイリュージョンとしての奥行きを持たせようとしており、しかもそれは一層の内包するものではなく、例えばパソコンによるグラフィックでは定番の「レイヤー」(層の重なりで一枚の画面を成す概念)的手法であるとはっきりと言える。だとすれば、ここから色面を潔く削除することも、あるいはさらに重ねる事も、モチーフを増やすことも・減らすことも、幾重にもフィルターをかける事も可能なのである。それはまさに、作家自身が日頃のドローイングや制作によって導いた発見であり、武内咲子の持つユーモアと想像力は失われることなく、新しい可能性を引き連れて再びニュートロンに登場すると言えよう。
遠くから見れば単色の影響が強く、信号の様に映るそれぞれの画面に、密かに刷り込まれている光景は、全く新しいペインティングの様相を呈するのだろうか、注目されたい。