neutron Gallery - 安藤 みちこ展 『クリーニング -Do the cleaning-』-
2008/6/24 Tue - 7/6 Sun gallery neutron
ニュートロンアーティスト登録作家 安藤みちこ ANDO MICHIKO

淡路島出身、現在は東京でアトリエを構えるユニークな平面作家が ニュートロン初登場。日頃目にする光景の中に不安定な揺らぎを覚え、その3次元的印象 を平面に描き表そうとする。油絵によるペインティング、色紙のドローイング、そして白黒のシ ンプルなドローイングの連結群により、人為的な光景(=建築)と植物などの自然が在る状景を抽象的な パースペクティブによって見せる。二次元と三次元の際を行き来して見えて来る「フォルム」とは?




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ニュートロン代表 石橋圭吾

 安藤みちこは淡路島に生まれ、美術を志して成安造形大学に在学したのを機に京都におよそ10年間居を構え、 3年程前から東京に移り住んでいる。現在は目黒の住宅地にある建築設計事務所の地下の一室をアトリエとして間借りし、アルバイトと制作に精を出している。 そもそも建築と相性の良い彼女にとって、設計事務所からたまに壁画制作の仕事が舞い込むことも刺激になっている様だ。

 タイプで言えば油絵を主とする平面の作家なのだろうが、安藤の頭の中には常に三次元の構図が思い描かれている。建築設計図がごとく、パースペクティブに 画面の構想を組み立てているのだ。時にはそれが針金を使った立体的なドローイングとして表されることもあるが、基本は二次元において表現される。キャンバ スに油絵具を使った作品を基軸としながらも支持体は段ボールを用いることもあったり、はたまたそれらの個別の作品をパーツとして展示会場に合わせて組み立 て、一つのインスタレーション作品に仕立てることもある。面白いのは、個々の平面作品としても成立しているものが、空間に意図的に配置されることによって さながら本物の建築の様に、一つの集合体としての存在に変化する点において、安藤の作品世界は平面に収まりきらない魅力を秘めていると感じられる。

 さりとて欲を張っていてばかりでは表現の奥行きは深まらない。現時点では一つ一つの画面の中に三次元的なイメージの奥行きをどれだけ描くことができる か、が課題である。今回の個展においてはインスタレーションとしての要素は限りなく薄い。彼女のドローイングやペインティングにどれだけの建築的/空間的 要素が在るかを注目したいところだ。

 しかし二次元/三次元の比較だけで安藤を語ってしまうと片手落ちである。作家が元来惹き付けられてやまないのは万物のフォルムであり、色彩であり、それ ら日頃目にする事象がふとした瞬間に(それは例えば目眩に襲われた時など)ぐにゃりと歪んで見えたり、安定して見えていたものの中に突然不安定な緊張感を 見いだした時などに、物の成り立ちの危うさや形状の不確定性に想いを巡らせずにはいられないのである。対象は建築物に限らず、バラの花弁や人物であって も、問題意識は共有できるはずである。目下のところはパースペクティブな構図による風景(建物も植物も含まれる)が描かれる事が多いが、それはおそらく私 達の住む世界の身近な光景にこそ、様々なフォルム、色彩、そして不安定で不確定な要素が多分に含まれていることの逆説的な結果かも知れない。あるいは作家 が人物や動物をモチーフとするよりも、より客観的に構図と色彩と奥行きを表現するのに適しているというだけなのかも知れない。いずれにしろ、洋の東西を問 わず人為的な産物である建築物の存在する世界において、彼女の描こうとする試みは概ね同じ意識において、様々なバリエーションを見せながら展開されること になるだろう。鮮やかさだけでなく渋みを持ち出した色使いに、ひょっとしたら日本の文化的背景が潜んでいたりするならば、既にその予兆なのかも知れない。

 現在までの安藤の発表の多くは純粋な「ギャラリー」よりもカフェや雑貨店でのインスタレーション、銭湯や飲食店での壁画作品など、やはり空間と結びつく ことによって生まれる表現が圧倒的に多い。そんな中、先述のとおり今回の個展は画面の中にこそ広がりを求める意味で、今までの個展とはひと味違ったものに なるだろう。鉛筆でさらさらと描かれたドローイングを張り合わせて、水道管ゲームの様にイメージを展開するもの、色紙にパステルなどで具体的に描かれるド ローイングのシリーズ、そして油絵のキャンバスはそれぞれ違った魅力を持ちながら、安藤の世界感を違った側面から浮かび上がらせるものである。アニメー ションや立体作品としての展開だって、可能性は無限大である。

 安藤みちこの描く世界は、この世界そのものなのだから。