neutron Gallery - 櫻井 智子 展 『 不均等な呼吸 』 -
2010/3/16 Tue - 28 Sun gallery neutron kyoto (最終日21:00迄)
ニュートロンアーティスト登録作家 櫻井 智子 (平面)

人間の奢りのために居場所を失おうとしている数々の生き物達の悲哀を嘆きつつも、生きることに真摯で本能的な美しさを彼らの中に見出し、忠実に描こうとする水墨画の期待の新鋭。

昨年の東京展で評価を高めた作家が挑むのは、100羽のペンギンがパノラマ的に広がる群生図。

水槽のようなギャラリー空間に、まさに「まほろば水族館」のごとく生命が躍動する。



「無題」
2010年 / B1(107.0×73.0cm) / 墨・朱・金彩・銀彩・膠


comment
gallery neutron 代表 石橋圭吾

 墨で動物を描くという行為に、一般におよそ新しさや現代性を感じることは少ないだろう。絵を描く技法としては、いわゆる「日本画」よりも長い歴史を誇り、およそ森羅万象全てのものを主題として描かれ尽くしてきたように感じるのは、私だけではないはずだからだ。さりとて水墨画が古典的で様式美だけの分野であるかと言えば、そう言い切ってしまうのは間違いである。なぜなら、ここに紹介する櫻井智子のような作家が登場することにより、新しい墨絵の地平が開かれることになろうから。

 櫻井智子との付き合いが本格的になったのは2008年の夏に京都ニュートロンで行った個展からであるので、比較的浅い。しかしそれから二年に満たない間の作家の成長は目を見張るものがあり、進境著しい。まだ私が出会った当初のスタイルと言えば、龍や麒麟といった神話・伝記上の生命体を描いていたことが多く、画面の中での装飾性の強さもあって、商業的な水墨イラストレーションの域を出ていないと思われていた感は否めない。しかしニュートロンで発表することを決めるにあたってお互いに話し合った結果、様式美や装飾性を極力排除し、生々しく・力強い生き物の姿を真っすぐに描き切って欲しいとの提案をさせてもらい、櫻井もそれを作家としてのステップとして受け入れてくれたのが、非常に大きなきっかけとなったと思われる。

 そして先述の2008 年夏の京都展「古くからの住人」では、それまでの作家のスタイルを大きく変え、まっさらな紙のど真ん中に位置する蛸や象亀、アルマジロが活き活きと描かれ、あげくはタランチュラの屏風まで飛び出して度肝を抜いた記憶が新しい。それまでほぼ無名であった櫻井にとっては、この発表を機に少なからぬ評価と期待を獲得することとなり、以後力強くこの路線に邁進する。

 変わったのはスタイルだけでなく、そのモチーフとする生き物の選択である。ファンタジーとしての生命体を描くのを止め、櫻井は「古くからの住人」以後、実存する生物を選択し、忠実に再現することを前提に確かな墨絵の技術を発揮していこうと試みる。実際に目で確かめられるものは動物園にも通い、蛸などはスーパーで買って来て飽きるまで眺め、観察し尽くした上で最終的に食べたと言う。想像上の生命体とは違って実存の生物にはリアリティーが求められるからこそ、櫻井自身も描く対象には徹底した研究を重ねる。さらに、選ばれる生物には一つの共通点がある。それは「まさに今、絶滅の危機に瀕している」という状況であり、私達が比較的良くそれを知っているものもあれば、まさかと思うものまで実に多様である。「古くからの住人」という個展タイトルが示すのは、私達人間以前からずっと地球に住む生物のことであるのは言うまでもない。櫻井はそれらを墨を用いて驚く程緻密に、生々しく、そして力強く描くことにより、私達人間に生物達のストイックな在り様と、生命のもつ根源的な美しさを伝えてくれる。それは動物を擬人化してキャラクターとしてもてはやす昨今のやり方とは次元の違うものであり、感情移入を目的としたものではないのだが、なぜだか櫻井の描く生物には(それが例えアリクイのような珍妙な奴であっても)親近感を覚えずにはいられない。

 その原因は一つしか無いであろう。櫻井がこれら生物達に深い畏敬の念と愛情を持った上で描いているからこそ、絵の中における彼らは穏やかで可愛らしくも見えてくるのだ。昨年6月の東京展「わらべの目」では小さなカエルのシリーズが人気を博したが、見たことも聞いたこともないカエルのそれぞれが実にユーモラスで表情豊かに描かれ(しかも忠実に)、一方では出目金やフグの間抜けな浮遊感が笑いを誘い、オランウータンや雪ヒョウの大作はどっしりと構えて貫禄を見せた。どれも、まさか絶滅の危機に瀕しているとは信じがたいほど、生命力に満ちている。なぜこれら生物達は、私達によってその住処を奪われ、存在することもままならなくなってしまったのだろう。

 今回再び京都で見せられるのは、作家にとっても一大プロジェクトと言える100羽(実際は103羽らしい)のペンギンのパノラマである。彼らもまた例外無く、種の存続の危機に晒されている。近い将来、愛らしいペンギン達の居場所が美術の水槽だけにならないように、私達は考えなければならないだろう。