ニュートロンアーティスト登録作家 泉 洋平 (インスタレーション)
平面、立体、そしてインスタレーションの手法を用いて提示するのは日常に潜む視覚の罠。
確かな油彩の技術を持ちながら平面に留まらず、意欲的に空間表現に取り組む新鋭が、二年ぶりに登場する。
光あるところに影ができ、万物は常に形や大きさを変化させて見えるものの、本質的な存在は変わらない。
美術として、体感する知的エンターテイメントとしてギャラリー空間に現れる「月」を眺めたし。
gallery neutron staff 桑原暢子
2008年のニュートロンでの個展から早2年。ゆっくりとしたペースながらも、泉洋平は決して制作の手を止めることはなかった。大学時代の友人と立ち上げたアトリエ兼ギャラリー「studio 90」の企画・運営にも携わり、自身の個展も開催した。また元立誠小学校での展示では職員室を会場として全面的に使用し、糸を横断させるインスタレーションも行なった。大学院修了後、企業に就職した彼を取り巻く環境は急激に変化したはずだが、そんな中でも彼はマイペースに自身の作品と向き合い社会とつながり続けてきた。
今展のタイトル『月の標本』はまるで小説に登場するフレーズのような響きである。比喩表現を用いたような詩的な言葉だが、何かを暗示しているのではなく泉の作品をそのまま表現した言葉なのである。
“ 月 ” とは誰もが一度以上は目にしたことがある地球を回る衛星だ。月の満ち欠けは地球と太陽と月の位置関係によって変化し、晴れた夜にはその変化によって、あたかもその姿形で空に浮かんでいるかのような月が見える。しかし実際は太陽に照らされた地球が月の上に影を落とし、その影が宇宙の闇と同化してそのように見えているだけなのだ。「欠けて見える」だけで、影の部分ももちろん物質として存在しているのだから、「見えるはずのものが見えなくなる」宇宙規模の視覚マジックなのである。
そして泉の今回の作品はまさに月の満ち欠けだ。無数に張られた糸に油性インクで着色する。色が塗られた糸が集合体となり、線が面に、平面が立体へと変化する。まるで球体が目の前で浮かんでいるかのように見える。しかしそれは「そう見える」だけであって実際には線状の糸であり、実際に見えている球体は物質としては存在しない。その球体があたかも浮かんで見える仕組みは、塗られていない糸の部分が背景の色と同化し見えにくくなっているだけで、それはまさに月の満ち欠けのように、地球の影と宇宙の闇が同化した時に起こる現象と同じである。そんな月を“ 標本”にする。ただ単に球体を額の中に閉じ込めているから「月の標本」であるなどという安易なものではなく、前述したように月の満ち欠けの原理「存在はするが、周囲と同化して見えていない」という現象そのものを具現化し提示しているのだ。
だが泉は宇宙の不思議や科学のいろはを伝えたいわけではない。人間の視覚構造を通して「見えているものがすべてではないのでは?」と問うているのではないだろうか。例えば、思い込み、先入観が地球の影のように心を支配すれば、光が差す部分しか見えなくなってしまう。しかし物事の本質は見えている部分がすべてではないことが多い。月の満ち欠けの原理を利用して、そんなことをも示唆しているのではないだろうか。
泉の作品が伝えるメッセージを受け取り、夏の夜に浮かぶ月を眺めて私は何を想うのだろう。三日月などをこれまではそういう形として認識していたが、そこに確実に存在する物体と影を意識し、月を眺めてみる。私たちを取り巻く環境は少しだけ形を変えるだろう。