【 作家、作品紹介 】
我々が何かを見るとき、(見るということが視界ではなく視覚だとする場合)見る対象へ抱く感情、好悪、美醜、等々は一方的なものである。そこで抱く感情は自らのリフレクションでしかない。自己の経験、情報、偶然によって決定される感情であり、結果、その対象を決定する。美しい風景に感動したり、自然を愛でるという文化が有るが、自然それ自身は美しくないのである。
そこに何があり、どんな形体、色に見えるかは、当たり前だが個々人により異なる。我々が共有する視覚イメージは近似値や一時的な約束事でしかなく、それ故脆い。勘違いが真実であるかもしれないし、暴力(無論、身体へではなく)により歪められているかもしれない。感覚器による見え方の変化も日常茶飯事だし、言葉が加われば決定的にそれは変わる。確実なものはどこにもないが一々それを気にしてもいられない。不確実だが了解事項であり、儚いが絶対的に存在し、無生産であるが消費対象である。写真を撮り、絵を描き、映像を作り、デザインし・・・・etc。視覚イメージを追うことはそれらの矛盾と対峙することである。
無思考で受動的な視界、瞬時の判断の直前、曖昧で不鮮明でただちに何かと判断しかねる、そこに感情や経験が入り込む余地のない一瞬の像、それが本来在るべき姿ではないだろうか。その一瞬の視覚体験は、感情や価値観を越えた純粋な存在にほんの一瞬、関わっている気がしてならない。
黒い、光沢のある絵には映りこみが生じる。鏡ほど完璧ではなく、そこには歪んだ像が映る。充分な光量があれば多少映る像が鮮明にも見えるだろう。 私の作品はただそれだけでしかない。
作者の感情をもう少し入れるなら認識する一瞬にだけである。