『GEISAI』での活躍も目覚ましい、異色の姉妹ユニットが、さらなる進化を見せる。血の繋がった姉妹である事実と、個としての相違。フルーツや怪獣?を織り交ぜつつ意外にも奥の深いテーマを掘り下げる。
gallery neutron 代表 石橋圭吾
昨年は「GEISAI」ムーブメントがひとつの頂点に達した時期でもあったような気がするが彼女達「カオリとマリ子」もそれと歩調を合わすかのごとく、精力的な作品制作と発表を行い、全国的に知られるまでに至った。例えそれがメディアやムーブメントの恩恵だとは言え一気に世の注目を浴びるにはそれなりの訳がある。この二人の場合、うたい文句や話題性には事欠かない。何より、実の姉妹ユニットという点では、叶姉妹にだって負けてはいないのだ。私はBT(美術手帖)に彼女達についてのコメントを求められた時、まさしく美術界の可能姉妹だ、と書いた。一見、無茶で不可能に思えることも二人で頑張って成し遂げてしまう、そんな力強さを感じて止まないからである。
そんな彼女達が初めてニュートロンにて個展を開いた昨年からもう、早1年を経ようとしている。二人は地下会場に葡萄とワインの写真コラージュ・立体作品を展開し、各々の全身が写されたイメージがメタリックシルバーのシートによって反射され、姉妹の相似性と葡萄のそれを関係させ、極めてポップに、大胆にインスタレーションを行った。正直、彼女達のような作風の展示が、「GEISAI」から離れてここニュートロンで通用するのか、あるいはどう見られるのか、不安で一杯であったが、それはある意味杞憂に終わった。年配の美術ファンも、美大生も、それから通りすがりのカップルも、その単純明快で圧倒的な作品と個性にノックアウト!であった。普段おしゃべりで賑やかな二人であるが、逆にその時は仕事と制作と家庭で大変だったのであろう、むしろもの静かに見えたのが印象的だった。今どき、「テレビに出たいんです!」などと正面切って言う人もなかなか少ないが、そんなシンプルな動機だろうと何だろうと、制作は制作。彼女達は今だワインほどは熟しきっていなくとも、意気込みと気合いは誰にも負けていない。そんな姿勢を感じたからこそ、今年もまた企画展を開催することを決めた。彼女達が外でどれだけフラッシュと好奇の目線を浴びようとも、私には関係ない。ここでやる以上は、私と彼女達とのぶつかり合いである。今一度、その究極の「自分達ワールド」を堪能してみたいと思ってしまったのだ・・・。
何だか彼女達の事を美術的に評価していないような書き方だが、それは違う。技術的な稚拙さは否めないとしても、意外にもそのコンセプトと発表スタイル、デザイン性は奥深い。そもそも姉・カオリは写真分野で活躍しており、妹・マリ子はデザイナーである。この組み合わせが、二人の作品のバランスを取っている。壮大な計画をぶちあげるのは姉であるが、妹は常に現実的にそれをフォローし、たまに怒り、結局は引きずり込まれる。そんな二人の制作者としての一面と、「姉妹」であるという事実。この何ものにも変えがたい事実が、彼女達を無敵なまでに発奮させる原動力となる。お互いが成長して顔も雰囲気も変われど、幼い頃に培った共通項は数限り無い。好きな食べもの、嫌いなもの、見てたアニメ、着ていた洋服・・・・・・。それらの思いでは表現という形で現れ、大人になってまた二人を結び付けることになる。そして、その「似ている」「共通する」という部分と、相反する「似て非なるもの」こそが、彼女達の最終的な結論でもある。それを認識して、改めて共同作業で作り出す作品群は、相似性を表すためにフルーツがモチーフに彩られ、色彩にあふれ、馬鹿馬鹿しいまでに単純でシンプルな展示によって世代を超えた訴求力を放ち、登場する。勢いに乗って疾走する様は、あたかもその先にある終止符を予言するかのようでもある。姉妹も、やがてそれぞれの生活に戻る時が来るのであろうか。いや、例えそうだとしても、二人は目先の目標に100%集中して、我々を驚かそうと必死であろう。笑いや驚きは、美術にとって絶対に必要な要素だと常々感じる。なぜなら、それは言葉になる前の原始的な感動の表現であり、日常の中にそのような非日常を作り出すことは、誰しもが求めるアートの楽しみだからだ。