昨年6月の初個展以来、2度目の登場。現代社会に蔓延するウィルスを切り取っ た前回から、今回は「占い」をテーマに12星座をシニカルに、ポップに描き切る。 独特の構図バランスと印象的な像が静かに語りかける。
gallery neutron 代表 石橋圭吾
「サキップ」とは、いかにも現代的な愛称である。その名の通り朗らかで自由な感性を発揮する彼女は、しかし単なる流行的な表現では終わらない。 前回、初個展となった昨年の6月の個展で彼女の潜在力の高さを感じる事ができた。それは平面としての完成度よりも、その着眼点、すなわち何を描こうかというスタートラインの立ち位置が、たまらなく絶妙であったという事だ。
「ウイルス」と題された作品群は、版画のような独特の陰影を強調されつつもポップであり、それでいて物語性があり、芯が強いのに朧であった。要約すれば現代に蔓延する様々な形の症候群やスタイル、ブームなどを病的なものと捉えて「ウイルス」と称し、それぞれに何処かいびつで印象的な人物像を照らし合わせ、シニカルに表現した。
例えて言うならマンガで言う「風刺画(カートゥ−ン)」に通じるのだろうが、サキップの絵画は絵画としての重厚さも持ち合わせ、決して時流にのっていこうとするポリシーを感じさせるわけでも無い。だからといって常に客観的で風刺的であるかと言えば、そうでもない。彼女自身のステートメントを見れば、意外にも情熱的に、勢いで表現しているのだと言う。つまりは、日頃からの問題意識、あるいは好奇心によって集められた様々な出来事や情報が、ごく自然にモチーフに昇華し、そこにサキップとしての主観が組み込まれていると言ってもいいだろう。あえて批判や中傷を狙うで無く、自分としての問題。小柄であどけなさの残る彼女は実に大きな目線で世の中を感じ、楽しんでいるようだ。そこが大物然としている。辛らつでなく、心地よい違和感。あるいはのっぺりとした背景に漂うかすかな不安な気配。テーマが、というより彼女の描く絵そのものが、ウイルスに侵されたかのごとくどこか奇妙で、それでいて親しみ易いのは気のせいだろうか・・・。
もうひとつ印象的なのは、彼女自身が最近発見した(私もそれを聞いてあっと思ったのだが)という、「目玉の不在」である。彼女の描く人物にはどれも奥深い目の存在は描かれていても、目玉は無い。微笑んでいるようで、あるいは思案しているようで、その実は読めない顔をしている。これもまた、「顔の無い」現代の諸現象を映していると見るのは、少し飛躍し過ぎか。いずれにしても、描かれた者達は、何ものでもない。サキップの感情や世の中の困ったことたちのアイコンに過ぎない。いや、ひょっとしたら人間の欲望や理性が生み出した歪んだ人格なのかも知れない。
今回のテーマは「占い」である。当たるも八卦、当たらぬも八卦。結局は自分の都合の良い風に捉えようとする人間の身勝手さか、あるいは何かに縋り付こうとする弱さなのか。とにかくサキップは又、現代の闇をぽっかりと抉ろうとしている。