点描で表されるユニークなイラストレーションと、そこから生み出される新たな立 体の世界。寓話的なキャラクターは実は作者の感情や思考の産物であり、見る者に束 縛では無くイメージの開放を促す。ドローイングによる植物画も登場。
gallery neutron 代表 石橋圭吾
まるで神話やおとぎ話の挿し絵にでも登場しそうな、ポエティックな印象と 点描によって感じられる儚くて脆い印象。 「はまだそら」の不思議な余韻を残す作品をじっと目を凝らす内に、 やがてそれらの第一印象の裏に(いや、奥に)、そのキャラクターらしきものの ディテールに自分が溶け入っていくような感覚を覚えると、 その点の集合体としての描画はとても広がりのある世界を内包していると気付かされる。
この点描は水性ゲルインクペンによって緻密に描かれているのだが、 本人によると色は苦手なため、あくまで想像で色付けしてほしい、との理由で 白黒のモノトーンの作風となっている。 確かに、この点描に余計な色は必要は無いと思う。 ある種の色が付けられてしまえばその色の持つイメージが固定され、 作品の内に秘めた世界への侵入の妨げにもなるだろうから。 全くをもって点描だけで描いているわけでは無く、 線画やそれに色を付けたものも制作しているのだが、 むしろそれらの方が「ドローイング」としての存在に近いのかもしれない。 点描作品はあくまで、平面作品としての完成形と言えるだろう。
今回はその平面の他に、石粘土による立体作品も発表する。 これらの造作は単純にやりこなした年月によっても変わるだろうから、 現時点での完成度としてはあまり高度なものを期待できないかもしれないが、 見るべきはその具現化された「イメージ」としての存在感であろう。 点描ならではの空間的・視覚的広がりや効果と逆に、立体は物の存在によって スケールを感じさせ周囲に影響を及ぼすため、むしろ想像を制限させる。 しかしながら「はまだそら」の抱える世界観を表現する上で 動き、存在感、手触りを求めるが故に生み出されたこれらの立体作品は、 今後さらなる研究努力によって進化していくことだろう。 私としては点描のイメージにも比較的近い「砂」を用いた作品、インスタレーションなども 見てみたいところであるが・・・。
ともあれ、実は物語というより「はまだそら」の内面から出て来た存在である これらの表象、図案、存在は、感情や思案が形を変えたものであり、 個々のキャラクターとしてのディテールや背景は示されていない。 その表情、容姿、存在から受ける印象もまた、私達次第、となるのだろうか。