色彩豊かでアグレッシブな印象の前回個展から成長し、今回は全体的にモノトーン の落ち着いた色調から内面の様々な表情を見せる。画材のバリエーションによる「白」と「黒」のそれぞれの質感のグラデーションは、彼の新しい側面をしっかりと伝えることだろう。
gallery neutron 代表 石橋圭吾
アクリルガッシュ、スプレー、ジェッソなど、質感の違いやグラデーションを 感じさせるのだが、実は全ての色は白と黒で描かれている。 市原の新作個展で登場するのは、ちょうど1年前に行った初個展に比べて 明らかに変化(進化)した彼自身の1年間の集積とも言えるだろう。 以前はジャズやレゲエなど、自身の愛するブラック、ルーツミュージックへの 深い傾倒をそのまま示すかのごとく原色(あるいはラスタ・カラー)が声高に現れ グラフィティやストリート.ペインティングとも共鳴しながら メッセージ性も多分に意識的に内包されていた。 しかしながら近作で見られるのは、そうした既存の表現内のルールを踏襲しようとする (言い方変えれば)保守的な絵画では無い。 ビビッドなカラーは簡単にアクセントと成りうるが、彼は自身の創作において あえて色を排除することによって言わば「制約」を設けた。 その結果、安易な色彩構成や勢い任せの制作とは完全に別物の、 ごまかしの効かない領域へと自分を追い込むことになり、 必然的に絵描きとして無意識の内に自らの絵画を発展させることに成功しているようだ。
今回、彼がキャンバスの代わりに選んだのは黒い鉄板であるという。 そう聞くと何やらいかめしい、剛直なイメージを連想しがちだが 実際はその選択段階で重要視したのは「作品のインテリア性」と「質感」だという。 つまり、自らの絵画の行き先が単に刹那的な一瞬の花火としてだけでなく 生活の一部としても成り立ち得るように(保存、設置などの面でも)考えての末である。 一般にストリート・アートと評されるものの本質が単に路上で生まれるという 時代性・即興性だけでなく、一作品としての非保全性が有るとすれば、 市原は決してそう呼ぶべきではないことが分る。
しかしながら彼のこの1年での成長を語るにおいて、 クラブイベント等でのライブペインティングは絶対に欠かせない。 逆説的に言えば、瞬間的で即興的なライブを数多くこなす内に、 自らも予測・計算できない内面の変化や新しい表現の胎動を知る結果となった。 そこで改めて、固定性のある「作品」としての制作に向う時に、 今度はイベントやライブでの経験をもとにイメージをコントロールしながら 今までの自身の領域を拡張させることができる様になった、と見るべきだろう。
絵はいつだって時代性があり、瞬間的であり、それでいて普遍的であるのが理想だと思う。 ここに出される10点程の作品から、そんな相反する印象が少しでも感じられたら、 彼はまた絵を描き続ける資質を持っている、と言えるだろう。