足田メロウとの共著「歌いながら生きていく」でもお馴染み、自作詩集も精力的に 発表する詩人が今回は初めて個展に挑む。シンプルで力強く、繊細な言葉の数々はビ ジュアルイメージが無くてもきっとあなたの心に届くことでしょう。
gallery neutron 代表 石橋圭吾
この度ギャラリーにてご紹介するのは、 普段あまり「展示」という形では目にする機会の少ない「詩」であります。 一般に作品としての成り立ちが印刷物やテキストという形式のため このようなギャラリー空間での発表となるとその展示様式も工夫が必要になります。 しかしながら、画家足田メロウとのパートナーシップでの発表やライブ等は 数多く経験しており、そのような「ビジュアルイメージ」との組合せによって 「詩」を読ませることについては、もはや再現の必要は無いのではないかと感じました。
ここで見せたい(読ませたい)のは豊原エスの「詩」であり、「ことば」であります。 いわゆる絵画や写真その他の「作品」とは違い、「ことば」は流動的なものです。 それはつまり読んだり聞かせたりすることによって様々に伝わり、 特定の「形態」を持たないはずのものだからです。 ここでは、そんな「ことば」を視覚化することにはあまり重点を置きません。 無論、ギャラリーという空間で「読んで」頂ける様、シンプルで必要な限りの配慮はしますが それは装飾性とは無縁のものであり、文字に向き合うまでの導入に過ぎません。 問題は豊原エスの発する「ことば」だから。
彼女の「詩」は昔から(初の自費出版詩集「セルフ・ヘルプ」の頃から)変わらず平易であり、 ストレートであり続けます。 感情的になり過ぎず、かといって平たんで冷めているでもない。 そこにはしっかりと一日一日、前を向きながら(ポジティブに)歩んで来た 一個人としての率直な思いと少しの後悔や励ましが含まれています。 また、女性が書く傾向の強い恋愛や自己憐憫、内省的な表現もあまり多く無く、 有ったとしてもなぜか中性的でドロドロとして聞こえない不思議な性格もあり、 とてもさっぱりと爽やかに響くように思うのです。 豊原自身、数々の詩人との交流や読書、発表を通じて、 どうしても自己完結に陥りがちな「詩」やその世界の住人達に少しばかりの違和感を感じ なおそこに居ながら自分というスタイルを確立し、多くの読者を獲得したいという 切実で真直ぐな動機を強く持っているのです。 たとえ足田メロウの絵が無くても、趣向を凝らさなくても、心に響くことばが有ります。 どうか改めて会場で、真っ白な壁に架かる真っ白な画面の上に踊ることばを、 ゆっくりと眺めて、読んで、楽しんで欲しいと思います。