記録としての絵、絵としての記憶・・・
旅先で出会った人々の顔、身近な人の顔をひたすらに追い求め、その表情、皺、輪郭などに深い洞察を加えて描き出す。
今回は地元・醍醐山に通う人々を山の石や枝を用いてシンプルにドローイングした作品群を発表。
醍醐山で、石や枝を使って顔を描く
僕の絵は記録であり、僕の記録が絵である。
例えば、山頂付近で毎日掃除をしに上がってくるおじさん。
例えば定年以来、1500回近く登っているおじさん。
例えば山頂で太極拳をしているおばさん。
例えばピカソが恋人だと言う、毎日登るおばさん。
醍醐山に登って絵を描くと決めて、それを実際やってみると、
予想していた事とはまったく違って見えた。
その山のあたりまえの日常の記録。
人、空気、土地、音の記録。
gallery neutron 代表 石橋圭吾
今どき珍しいくらいに真直ぐな姿勢で礼儀正しく、 他の作家志望の若者とは明らかに異質な存在感を放っていた彼と出会ってから、 もう3年以上も経とうとしている。 当時10代だった彼は初々しく、疑うことを知らず、人懐っこく、 それでいて自分の探すものに対して真摯に向き合っていた。 この情報過多で人間の欲望が荒れる一方の世の中でよくもここまで・・・と思ったのだが、 不思議な縁あって今ではニュートロンで働き、私の傍に居る。 そして奇跡的と言えるくらいに彼はまっすぐに成長し、相変わらず目の輝きを失わない。 流石に仕事を持つと年中旅行する訳にはいかないのだが、それでも「個展をしたい」と言う。 彼にとって個展とは旅(=出会いと制作の過程)の記録報告でもあり、 またその会場における新たな出会いとその記録をスケッチする機会でもあるのだ。 実際に会場内で訪れた人と向き合い、顔を描く姿はお馴染みになっている。 しかしそれは「似顔絵」と呼ぶには少し違う。金銭をもらって描くのではなく、 彼が「記録」として残す行為であり、(本来なら彼がピンときた人物を旅先で描くのであるが) 会場では求められたら可能な限りそれに応じ、面と向き合い、ひたすらに描く。 おそらく壁に展示されている作品だけでなく、その行為を目撃し、来場者は彼の描こうとするものの本質を感じることが出来るのであろう。 顔と言ってもそこには輪郭、表情、皺、色、そしてそこから滲み出る歴史など、 描くべきものは多様に存在し、どこにどう着眼するかは時として変化するだろう。 事実、以前は背景を着色していた彼は最近、全く背景を描かなくなっている。 クレパスでグイグイと力強く描くスタイルも今回は封印し、 醍醐山にて拾った石や枝などをその場で用い、その山に登って来る人々を描くのだという。
明らかに今回は大掛かりな旅をせず、地元のありふれた光景とも言える。 しかしそこで定点観測して得られたものは、顔の収集以外にもきっと有るはずである。 彼がアジア、アフリカ、ヨーロッパに限らず人間を本質的に好きで居られる限り、 どこに居ても彼は顔を描けるはずだ。 そしてその記録の果てに見えるものは何なのか、今結論を出すのは明らかに時期尚早だが、 一つだけ言える事が有る。 彼のようにアナログでスローな(人間同志、本来の)コミュニケーションを基にする行為が 現在進行形でこの時代の若者達を中心に広く共感を呼んでいる現状は、 ディスコミュニケーションが叫ばれる中、とても嬉しい事実である。