neutron Gallery - フジイタケシ展 - 
2005/3/15Tue - 20Sun 京都新京極 neutron 5F & B1 gallery

立体、インスタレーションのイメージが強かった作家が、廻り廻って平面に戻って 来た。スペインで感じた言い知れぬ得ぬ感触、それは人間の営みと自然の力によって 生まれる現象と光景。侵食=「削る」という行為で生み出す新たなる手触り。





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gallery neutron 代表 石橋圭吾

  2002年、現ニュートロン地下ギャラリーにおいて最初の企画展として開催した個展以来、フジイの個展は3回目となる。2003年には7月にギャラリーすずき、そして11月にニュートロンでそれぞれ個展をしているが、昨年は目立った活動はせずじっと制作の方向性を探っていた。フジイの制作スタイルは平面に留まらず立体造形、インスタレーションまで振り子の針を大きく振るものだから、ある地点での定義付けをするのは一過性のものにしかならず、あまり意味を為さない。彼という作家はおよそ自分が出来そうだと思ったイメージに飛びついて探求していくので、最初からジャンルに束縛されてはいない。ある地点で何かの問題意識と方向性が見えた時、それを表現する・探求するに相応しい形態こそが彼の制作形態となるのだ。
  そういった意味で、この3年間あまりの間にも実に様々な方向に彼の触手は伸びていった。本来の大学での専攻は洋画ではあるが、むしろ彼の最初の代表作とも言える、塩化ビニールのパイプを使った作品群が極めて出色で印象深い為、多くの人は平面という印象よりも立体作家としてのイメージを持つかもしれない。事実、ニュートロンでの発表も個展では2回とも立体インスタレーションとしての形態をとった。平面及びそれらしき形態の作品はグループ展等でチラリと覗かせたぐらいである。そんなフジイが、久々に平面での正面切った発表を行おうとしている。今回、彼は本来絵が描かれるはずのパネルに対し、「削る」という行為をもって立ち向かう。彼が未だに憧憬してやまないスペインの街角の光景から端を発し、人為的に色づけや構成される物が年月をかけて腐食し、自然現象として崩れていく過程、その有様はずっと彼の心を捉えてきた。思えばパイプにしても「秘密基地」にしても、その後に続くインスタレーションにおける発表も、実は根底でスペインで感じた印象が極めて強く影響している。日頃の生活から一時だけ離れて、じっと息を潜めて自分だけ存在する静かな空間。それによってもたらされる安息感と研澄まされる集中力。全てはフジイの表現したいものであり、例え今回の新作が「平面」であって、「削る」という行為によって生じる現象がテーマであったとしても、根本的に繋がっている。言う間でも無く「削る」とはマイナスの方向の作用であり、彼が純然と平面に向かっているのとは少し違う。が、廻り廻って大きなパネルの前に戻ってきた彼は、そこに自分が表すべきテーマを探り当てたのだ。
  私はこのようなフジイの回り道とも言える制作過程を、しかしながらとても楽しんで見ている。極めて内面的な精神状態から発せられるアイデアであるはずなのに、彼の発表は常に人を招き入れ、楽しませる。それは内向的で閉鎖的なものとは無縁であるかのように。どこかエンターテイメントとしての軽やかさを漂わせながら、質感は男性的で硬派である。今回の発表において見るべきは、単に腐食した質感や堆積した年月のコピーでは無いはずだ。それならば本物に勝てるはずが無い。では、フジイは「削る」事でどんなエンターテイメントを感じさせ、どれだけ内省的でありながら人を惹き付けるだろうか。今から彼の新しい挑戦が楽しみでならない。