neutron Gallery - 北平 明子 展 - 
2005/4/19Tue - 24Sun 京都新京極 neutron B1 gallery

シルクスクリーンによる多層なイメージ構成、儚さと生命力の同居する作品は、様々 な記憶を掬い上げて昇華されたもの。今年もまた、北平明子が春の訪れとともに作品 を発表します。刷り込まれた印象はあなたの手の中で芽を伸ばすでしょう。





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gallery neutron 代表 石橋圭吾

 北平明子のパーソナルな感情や出来事は、それが作品として表れると同時に、多くの人々に対して何らかの記憶や感情を掘り起こさせる事を促す。もちろんそれは強制的にではなく、作品の柔らかで朧な印象を眼に焼きつけるうちに、鑑賞者は次第にその光景自体ではなく、ぼんやりとではあるが、自らがそこに在る事象に対して何らかの関係を持っているのでは無いか?と思えてくるのである。そしてそんな「気がする」という不確かな印象と、やはり目の前に在る「作品」としての確かな質感、存在感とが脳裏において瞬間的にグラリと重なり揺れ動くものの、それによって掘り起こされるイメージは鑑賞者の様々な体験、記憶によるものであろう。したがって、北平は例え個人的なメッセージに端を発してそれを作ろうとも、そのメッセージそのものではなく、そういった「装置的存在」としての影響が作品を通して鑑賞者に伝わっているのだと思う。それはとても緩やかで、気持ちの良い出来事だと感じている。
 北平は版画、特にシルクスクリーンを専攻し、現在に至るまで様々な形状、技法を試行錯誤して来た。樹脂による立体造形と、そこに組み込まれた遺伝子チップのようなシルクスクリーンによる小さなプリントの作品はとても人気を博した。現在では平面としての形状をとることが増え、何十層にもわたる多層構成、樹脂によるコーティングによって時に作品は油絵のような厚みさえ感じさせ、一方でとても儚気で、繊細に見えるのは作者の確かな技法によるものだろう。鑑賞者にとってはどれだけ版を使っているかという事はあまり問題では無い。結果としてそこに在る作品が、どれだけ確かな質感とイメージをたたえているか、が問題なのである。作品の形状が立体造形としての性質を備えているものにおいても、やはり各面において繊細な刷り込みが為されていたり、様々な角度から見られることを想定して、演出がされている。それは部屋という日常の空間から抜け出て来た様なモチーフも多いが、逆にそれが作品となってギャラリー空間に存在した時、私たちはその柔らかな輝きと儚い存在感に見入られ、それを手元に置きたいと思う。それはすなわち、部屋の片隅で生まれた記憶や出来事が昇華し、また誰かの記憶となる事でもある。そうやって北平の刷る「記憶の遺伝子」は「心の種子」となって誰かの手の中で発芽し、また新しい記憶の花を咲かせるのだとしたら、何と素晴しい出来事なのだろう。そしてまた、新しい春がやって来る。