neutron Gallery 
- 小倉 正志 展 『I LOVE CITY 〜現代都市を構成する色と線〜 』 - 
2006/3/27Mon - 4/9Sun gallery neutron kyoto
ニュートロンアーティスト登録作家 小倉 正志 (絵画)

社会活動のただ中、学生時代以来ふと絵筆を取って描きはじめてから気が付けば1 0年。節目の年に、関わりの深いニュートロンで行う記念の個展は、もちろん新作を交え た今後を占う充実したものに。現代の都市というモチーフを追い求め、普遍的に、それでいて常に新しく見える。 !





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gallery neutron 代表 石橋圭吾

 画業10年と一言で言ってしまえばまだまだ駆け出しの域ではあるだろうが、小倉正志に関しては既にベテランの風格と実力を備えた領域を意味するのかも知れない。彼の個展を初めて見たのは1998年の5月、京都の恵文社一乗寺店のギャラリー内においてであるから8年近く前のことになる。当時、彼はペイントの他にもドローイングやコラージュを使った作品を提示し、アナログにも関わらずサイバーでロジスティックな印象を受けたことを記憶している。しかし根本となる「都市」を描く表現そのものは、現在と全くと言っていいほど変わらない。これだけ多くの情報と流行に囲まれながら、美術作家と言えども自らの制作の一貫性を確保するのは難しい。彼がそれに迷う事無く前進して来られたのは、30代半ばまでのブランク(あるいは制作準備期間)があったからこそ、絵筆を握る自分の視線を100%信じて来られたのかも知れない。
 小倉の絵には、都市の有機的・無機的エネルギーの流れが花火のように華やかに彩られ、人種を超えたグローバリズムの視点からか、実に多様な色彩が背景に、ビルディングに、人とおぼしきアイコンに使われる。圧倒的な状景であり、エンターテインメントの極みとも感じられる画面には、しかし良く見ると人間の生み出す喜びだけでなく悲しみ、怒り、絶望や渾沌までがぎっしりと凝縮されているかのようにも見える。現代の「都市」が世界各地においてほぼ機能的に普遍であるのであれば、そこで繰り広げられるパレードや騒乱、悲喜劇は人間という生き物が共通の理解を持って受け止められる出来事でもあろう。宗教や文化の違いを盾に争いを起こすことは出来ても、それによって勝者と敗者に絶対的な差を生じさせる事はもう出来ない。今地球上で続く「都市」を巡る争いを知ってか知らずか、小倉の描き出すそれはこの10年間変わらずエネルギーを暴発させ、あるいは静かに横たわってきた。
 不思議な事に、前回のニュートロンでの個展(2004年)の際も強く思ったのだが、今回も強烈に思う事がある。それは、「今こそ小倉正志の描く都市を世界中の人が見るべきだ」という事だ。それは逆説的に、時代あるいは世界が相変わらず騒々しく、争いを止めず、人間の叡智によって成り立つべき本来の「都市」の姿を一向に見出せないでいる状況を示唆するものなのか、はたまた小倉正志が常にその確かな視線を時代の前方に見据えているからなのか。
 今回の個展は先述の通り画業10年の節目を記念するものではあるが、あくまで新作展である。50号の大作はもちろん、近年新たに取り組んで来た「リトグラフ」の技法が彼の作品にどう溶け込み、影響を与えるかに注目したい。リトグラフは版画の技法の一種であり、主に線描を得意とする。小倉の作品に表れる要素の中でとりわけ「線」の重要度は高く、試作段階のリトグラフを見せてもらった際にはその「骨格」としての線の成り立ちによって画面が既に生命力に溢れ、後から加えられる色彩によって千変万化するのを発見した。これにより、おそらく小倉作品の展開力は飛躍的に向上するだろう。印刷・エディションプリントといった量産も強く視野に入れることができるため、彼の描き出す「都市」が、まさしく現代の情報としてその中に入り込もうとするのである。
 華やかで静謐、力強く繊細な彼の絵画は現代美術というカテゴリーさえ大きく包もうとする懐の広さがある。彼の絵を、今こそ見るべきだ。