neutron Gallery - 谷口 晋也 展 - 『 宇宙を植える〈焼き物を植える〉 』
2006/7/10 Mon - 23Sun gallery neutron kyoto
ニュートロンアーティスト登録作家 谷口 晋也  (陶器・インスタレーション)

祇園祭の季節に京都の伝統文化を引き継ぎながら新しい時代の陶芸を試みる。
2003年7月以来、実に3年ぶりのニュートロンでの個展は彼のテーマである宇宙という概念を作品の内面に焼きこんだ力作を展示。
日常のうちわからオブジェによるインスタレーションまで幅広い作風を持つ作家が、焼き物という形に落し込むものとは。ショップでの小作品・うつわ販売も!



2000年 3回生制作展 (京都市美術館) 「チャネリング」


comment
gallery neutron 代表 石橋圭吾

 実に久しぶりの登場である。谷口晋也とニュートロンとの関わりは古く、ギャラリーとしての草初期に既に彼のファイルと作品を目にする機会があった。以来、青磁・白磁を用いて彼が醸し出すスマートで優美なラインと独創的なアイデアに魅せられてきた私であるが、作家としての彼は決して順風満帆に歩んで来たとは言い難かった。
 彼の発表(展覧会)はほぼ、いわゆる陶芸における「うつわ」展としてのものである。従って使用されることを前提とし、販売を目的とした展覧会であると言える。そしてそういった展覧会における評価は決して悪くはなく、作品を手に取る客も多かった。しかし彼のもう一つの側面が、「うつわ」に傾倒させまいと彼を反対側に引っ張り込もうとする。大学及び大学院の制作展・修了展で見せた「オブジェ」としての焼き物は全く「うつわ」ではない。彼が土と窯と釉薬と格闘して生み出す課程は一緒でも、そのフォルムは使用目的を持たず、彫刻としての存在感を放って止まない。「走泥社」以来、焼き物とオブジェの関係にもはや目新しさは無いとしても、作家として針を「うつわ」から「オブジェ」に振る行為はなかなかの勇気と技量を必要とするのは間違いない。奇妙キテレツなオブジェを創れても、その作家が日常生活における「うつわ」を焼けるとは限らない。あるいは「うつわ」を焼く技術を持つ場合、使用目的の無いオブジェを創り出したいと発起する作家もそう多くはないのではないだろうか。しかもそれを両立し、どちらにおいても発表と制作をバランス良く進めていける者は。そういった意味で谷口は、まだ途上にあるとは言え、自己の内面(インナースペース)と社会との関わり(アウタースペース)を「宇宙」というテーマに凝縮する一連のオブジェ制作において、美術作家としてのメッセージ性を強く打ち出しながら、同時にそれらを秘めた商品としての「うつわ」を自ら制作することが出来る。どちらか一方で評価されるよりも、彼の針の振幅を全て見極めた上で感じることができれば、たとえどんなにシンプルに(彼にしては)焼かれた皿でも、きっとそこに彼の提示する「宇宙」が内在していることに気付くはずだ。
 前回のニュートロンでの個展ではまさに谷口晋也の宇宙観が満載のインスタレーションを行ったが、もうそれは3年も前のことになる。今彼が(そして私が)考えているのは、仄暗い空間に神秘的なオブジェを設置して観客を幽玄の世界に引きずりこもうとする事ではない。彼の進化は「うつわ」と「オブジェ」の距離を少し縮め、焼き物としての「もの」である前提は一緒であるという地点に来ているように感じる。従って空間的な演出を必要とせず、彼の技術・精神を窯の中でじっくりと焼き込まれた「もの」が存在するのみである。また、展覧会の一貫として彼の「うつわ」もショップスペースにて多数展示・販売予定である。今までも多くのお客様に好評を頂いて来たこれらを、彼の世界観(宇宙観)と照らし合わせながら手に取って楽しんで頂きたい。
 ところで彼の言う「宇宙を植える〈焼き物を植える〉」というテーマは実に素晴らしい。「植える」という言葉には長い年月と手間ひまを惜しまぬ姿勢を感じるし、焼成物としての焼き物の成り立つ工程とも重ねあわせることが出来る。そして人間の意識(世界情勢における問題意識・美意識など)は瞬間的には変化しない。じっくりと、丁寧に育まれてこそ成り立つものなのである。すると彼のテーマは彼だけでなく、世の中における美意識を進化させたいとする私達ギャラリーが、等しく持つべき共通のテーマであるとも言えよう。
 皆さんの食卓のうつわに、湯呑みに、コーヒーカップに、彼の刻印が宿る日を夢見て。