neutron Gallery - Christian Orton 展 『 川の瞬間 』 - 
2007/3/5Mon - 18Sun gallery neutron kyoto


カナダ出身、京都在住のフォトグラファーがニュートロン初登場。
日本の伝統、新しい文化、そして流れる時間を愛してやまない彼が、「川」をモチーフに「掛け軸」型の写真を見せる。
果して日本人よりも日本人らしく、しかし新たな発見を備える視点は、私達に何を気づかせてくれるだろうか?





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gallery neutron 代表 石橋圭吾

 カナダ出身のフォトグラファーと言えば、一昨年5月にニュートロンが烏丸三条に移転した際の初展覧会を企画したJesse Birch(ジェシー・バーチ)が思い出されるが(現在はカナダに戻って活動中)、ここにご紹介するクリスティアン・オートンは彼の友人でもあり、同じく写真というメディアを用いて表現を行う者である。
  日本人の多くの「写真家」と違い、欧米あるいはアジアを含む海外の「写真作家」達は、日本での「毎日出来るだけ多くのシャッターを切る」という妄信?とは一切無縁で、絵画や他の表現手法と等しく、コンセプトを具現化するための手段としてカメラを用いているのがまずは特徴である。従って、ここに「毎日撮りだめた」とか「レンズの赴くままに」といった解説は登場しない。しかしもちろん、レンズを構える者は日々、心のシャッターチャンスを逃す訳にはいかないし、風景や事象を切り取る術も長けていなくてはならないのは間違い無い。ジェシーもクリスティアンも映像(ビデオ)も扱うから、その点では「写真」という静止画に限らず、ビジュアル表現手段としてレンズを通じての映像を提示する作家と言い換えた方が良いかも知れない。
  クリスティアンは日本語に堪能であり、日本人の妻を持ち、日本の風習に通じている。一方でまだ滞在数年であるからして、いわゆる「外人」でもある。当然、彼は日本古来の建築やインテリア、造形にも関心を示す反面、京都に住みながら「京都らしくない」風景を殊更に撮影してみせるあたりは、やはり普遍的な表現の本質を垣間見せる。住宅地に存在する田圃(あるいは田圃の中に増殖する住宅地)をスクエアな画面で切り取ったシリーズ、町家や駐車場の佇まいの中に日本的な空間の美意識(「間」)を感じさせるシリーズなど、多くは日本人の若い写真家が目を向けがちな被写体ではあるが、それらに対する客観的で絵画的なアプローチと洗練さは日本人以上であると言える。
  どんな日本の見なれた風景でも、例えばハリウッドの映画監督が撮ると全く趣の違う場所に感じられたりする。私の好きなリドリー・スコット監督の「ブラック・レイン」に映る大阪の街も、その典型だろう。単に視点、技法、技術の違いなのだとしても、同じ光景がこうも違って見えるものかと驚く事もしばしばである。クリスティアンが写す光景にもどこか我々とは異質なオリエンタリズムを感じるが、一方で完璧なまでに日本的なものを写している。京都の象徴的な建物、人物、文字等を一切排除した画面(鴨川は別として)に映るのは彼が今存在している「場所」であり、それは何処なのかと問われれば、結果として京都であり、日本であると言わんばかりに。
  彼の今回の新作は通常の比率で写された川の写真を、「掛け軸」のごとく縦長にトリミングしたシリーズである。そして展示もまた、障子襖等の数値比を引用して象徴的に配置される予定である。川は明け方も夕暮れ時も、深夜も、滔々と流れを絶やさない。しかし周囲の景色は長時間露光によってもあまり動きを感じさせず、止まっているかの様だ。写真とは瞬間芸術だと言うが、ここに映るのは私達の暮す京都の象徴的な時間:ゆったりと鴨川の様に流れる時間なのだろうか。まさにクリスティアンは、真っ向から日本を切り取ろうと試みている。