ニュートロンアーティスト登録作家 伊吹 拓 IBUKI TAKU
京都、大阪をはじめ各地で精力的に発表を続ける気鋭の画家が個展と しては3年ぶりに登場。ダイナミックで繊細な絵画表現を追求する中で、これまでもイタリア料理店やニュートロンのカフェ等でも展示を行い、日常の空間にお ける人々とのコミュニケーションを生じさせて来た。今回はギャラリースペースに新作の大作を出展。他にもショップスペースやカフェを巻き込んで意欲的な展 示となる。
ニュートロン代表 石橋圭吾
絵描きという人種はたいてい、自分の描いた絵を出来るだけ多くの人が目撃する場所に掲げたがるか、あるいは逆に目的をもってしか辿り着かない様な場所に おいてひっそりと見せたいもので、前者の場合はギャラリーはもちろん、近年ではカフェなど不特定多数の人々が日常的に出入りする場所においての美術展示は、もはや珍しくもなくなってきている。ただ、カフェなどの飲食店における本来の目的は「食べさせること」であり、第一義的にお客様とは飲食を目的とした 人を指す。即ち飲食店においてそこに掲げられている絵だけを見ることは概ね許されず、いい顔もされないことが多い。こういった場所における展示はあくまで 最終的には内装の一部と認識される事が必然であり、例えばお客はもちろん、従業員が違和感を覚えるようなテイストの作品など、展示される訳もない。だから こういった展示が行われる背景には、ほぼ飲食店側からの働きかけによって作家が選ばれるケースが多く、その逆の場合はお店の感性との一致が無い限りは一般 的に実現は難しい。だが一度作家の表現の本質と、お店のスタッフ及びお客との「何か」が一致した場合、それは単なるギャラリースペースでは起こりえない、 素晴らしい出会いや人生の喜びを感じさせる瞬間が訪れる事も否定できない。その幸福な一瞬が生まれることを期待してか、(私にとっては)ギャラリーに展示するよりも難しいと思われるこの種の展示を行う作家が後を絶たない。だが、単に壁の飾りとなる例がほとんどで、それは私達の生活における背景あるいはBGM程度にしか心に入ってこないだろう。
伊吹拓はギャラリーでの発表も盛んだが、一方で懇意にしているレストランにおける展示も度々行って来ている。京都の西陣のほど近くにあるイタリアン料理 店での展示は、私も過去数回訪れ、作家とともにランチを楽しんだ経験がある。作家は性格的にあまりおしゃべりでは無いが独特の語り口が印象深く、丁寧に言 葉を選んで話す様は人間としての誠実さと人に向かう態度の純朴さを感じさせる。そんな彼とのランチは男二人で話しがはずむと言うよりも、彼の大作を正面の 壁に見つつ彼がその前に座り、左右の壁にも架かるいくつかの絵を眺めながら美味しいパスタを口に運び、コーヒーを飲み、別に絵に対する上手いコメントをす る訳でもなく、でもやはり絵の前で「過ごす」ひと時は日頃の気ぜわしさを忘れるに充分な時間であった。そして彼はその私の時間の費やし方に満足した様であった。
昨年の夏、伊吹は延べ3ヶ月にわたってニュートロンのカフェ・スペースにおける展示を行った。これは個展として告知する扱いのものでは無かったが、今ま でカフェ店内の掲示作品は私の所有する常設作品に限っていたものを、一気に伊吹絵画に入れ替えてみたところ、スタッフやお客様からも様々な反応を得ること が出来、彼にとっても多くを学ぶ機会となった。彼は私ではなくカフェのマネージャーと話し合いを繰り返し、彼の描きたいものとお店との合致点を見いだすま で、展示も入れ替えた。これは前述の「店の都合で」の意味合いも含むが、一方で伊吹自身がそれを望んで挑んだ事でもあるからだ。普通の作家は店の都合で作 品を差し替えることなど嬉しくはない。でも彼はこのカフェにおけるお客様との出会いを何より望み、作家としての自分の持ち幅の中から徹底的に合う物を探し出し、提示することを自らに課した。その結果辿りついた心境は彼だけにしか分からないが、今までに無い充足感を得たことは察するに余りある。日頃は美術本 来の姿をギャラリーという非日常空間の中でありのままに提示することを考える私も、作家のそのような挑戦に半信半疑だったものが、今や学ぶべき点が多い。
そして今回、彼はカフェもギャラリーも全てを取り込んで、自分のために、訪れる人のために、幸福な瞬間が訪れることを期待して展示を行う。メインとなる 作品はギャラリーの中に大作が2点。ショップにもカフェにも大小様々な作品が出される。そして期間中には(4 / 4・金)著名なパーカッショニストの山村誠一氏を招いてのライブイベントまで行う。
その場に漂う話し声、美味しい食事、素敵な音楽、楽しげな空気、そして一瞬を共有する幸せ。
伊吹拓が大事にするのは、特別でない、日常的な時間である。そして彼の絵は、特別な、多くの大切なものたちによって彩られている。
伊吹拓とは、春の訪れのように寡黙で雄弁な作家である。