neutron Gallery - 櫻井 智子展 『古くからの住人』-
2008/8/19 Tue - 31 Sun gallery neutron
ニュートロンアーティスト登録作家 櫻井智子 SAKURAI TOMOKO

大阪を中心に、墨による屏風や掛け軸作品からイラストレーションま で、着実に力をつけてきた作家がニュートロン初登場。現(うつつ)と幻(まぼろし)の境に表れる生き物達は、古代からの 神秘性を身に纏いつつ、現代にその存在感を鮮やかに映し出す。醜くも美しい、ストイックで官能的な生き物の姿を刮目してご覧下さ い・・・。




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ニュートロン代表 石橋圭吾

 生き物をモチーフにする作家は多い。植物の静かな生命力をキャンバスに定着させたり、猛獣のたくましさを迫 力のある彫刻に模したり、またアニメーションなどでも動物もののキャラクターを用いる作家は少なくない。生き物は老若男女問わず幅広く愛され、感情移入し やすいからであろうか。ある意味では人間を描くよりも便利で、表現において有効と考えることも出来るかもしれない。

 しかしながら、櫻井智子の描く生き物達は、そんな安易な捉え方の出来るものたちではない。伝説の生物である麒麟や龍、鳳凰といった比較的メジャーな空想 上の存在から、海老や蝶、カラス、象、アリクイに至るまで、実在の生物達がサイケデリックに、幻想的に描かれる。その様は古くから日本の襖絵や色紙、掛け 軸などに登場した、宗教的な意味合いを含む魅惑的で官能的な有様を継承しつつも、現代における表現として鮮度を持って生まれ変わった様でもある。「サイケ デリック」で「幻想的」と書いたが、私はあまりこの二つの言葉を好まない。なぜならこれらの言葉を使うと一律にイメージが固定されやすく、誤解をも招きが ちであるからだ。確かに櫻井のビジョンの中には夢幻の世界が広がってもいるのであろうが、同時に片方の目には私達が住む現実のどうしようもない世界が、間 違いなく映っている。「どうしようもない」とは「嫌で嫌で仕方ない」と言う意味ではなく、「なぜこうなってしまったのか」わからない、実に無機的でシステ ム過剰で、生き物が存在しにくい世の中である事を指す。櫻井が描く生き物達を、私達がこの世界で肉眼で見る事はまず不可能であろう。しかし一方で私達が生 まれる前から、脈々と受け継がれて来た過剰なまでの生命力、動物的エネルギー、そして今となっては探すことすら困難な神秘性をまとった存在であり続けてい る。実存だけが存在だとすれば、私達の想像力はもとから必要とされないだろう。龍もUFOも数々の都市伝説も、信じた方が楽しいに違いないのだから。

 櫻井は主に墨を使った微細で迫力のある絵画作品と、ペンなどによるイラストレーションを得意とする。今回は私と作家の意向により、昨年から今年にかけて の新作を中心とした、全て墨を用いての絵画作品のみの展示となる。そして私が特に注目し評価している部分が、それぞれのモチーフの表皮であったり体毛で あったり、身体に刻み込まれた機能としての緻密な文様の表現である。かなり大きな作品もあるのだが、それぞれがモチーフ以外に無駄の無い画面であり、生き 物達のディテールたるや実存するかのごとく、微細でグロテスクで、美しい。およそ凡百の「幻想画家」達が施すような過剰な装飾は一切排除し、描かれている 生き物本来の存在感が際立たされている。描き手の集中力と表現力が無ければ成り立たない作品であり、一方で偏見に満ちた美術の世界で架空の生き物を描くと いうリスクも消し去るほど、ストイックでモダンなスタイルに挑戦しているのである。

 ここに見られるのは幻想ではなく、作家が現代に蘇らせた古代からのDNAである。動物図鑑に載らない生き物達は姿を変え、名前を変えてもこの地球上にた くましく生きてきた。それは図鑑に載っているそれらが一般には環境に適応しながら進化したと言われるのとは違い、この地球上にのさばる人間が時に必要悪と して、時に神として生み出し、甘受してきた証なのである。なぜこのテクノロジーの世の中に彼らが死滅しないでいるのか、逆説的に考えれば、それは私達に とって「必要」だからである。

 彼らは可愛い人形にもならないし、ゲームの主人公にもならない。汚くて怖くて動物本能むき出しだからこそ、魅力的なのである。そしてそれは、当たり前の事だが、生き物本来の姿でもある。