ニュートロンアーティスト登録作家 高橋 良 TAKAHASHI RYO
2009年の年明けを飾るのは、ハンガリー留学を経てますます鬼気迫る気鋭の画家・高橋良。日本画から現代イラストレーションの要素まで広く孕みつつ、独自の死生観を繰り広げる様相は、過去から未来、そして西洋から東洋まで行き来するような、普遍性を備える。元来の画力に加え、素材の面白さ、そしてダイナミックな構図とアイデアが炸裂する。
正月の眠たい頭に強烈な刺激となること間違い無し!!
gallery neutron 桑原暢子
これは夢だろうか?夢ならば早く覚めて欲しい…そう私に願わせる、死の匂いが漂う情景。生と死と、男と女、性欲や絶望、そして狂気、喪失感。高橋良の作品を見ていると、これらの言葉が頭の中を駆け巡る。それと同時に、鮮やかな朱色、繊細な線、淡い墨の色により、どこか懐かしく、そして柔らかな感情をも引き起こさせる。正なのか負なのか、そういった明確な答えはない。自分自身の中があやふやでモヤモヤとした混沌の中、よくわからない焦燥感を抱き立ちすくむ。
高橋良はこれまでにも個展やグループ展はもちろん、公募展にも積極的に応募し、自らの作品を世の中に発表し続けている。精力的な活動は作品を発表するというだけではなく、「オリジナル水墨画T シャツ」の制作や、自宅で開催している「高橋良・水墨画教室」など様々である。個展があろうがなかろうが、彼は常に墨と接し、そして日常の中に水墨を取り入れている。それは彼にとって至極自然なことであり、なんの違和感もないことなのだ。
今回の個展では、ハンガリーで生産されているちょっと珍しい紙を使用する。和紙の表面とは異なり、ぼこぼことした凹凸、しっとりとした表情が特徴である。紙そのものには見た目にも分かる程の厚みがあり、その表面はなぜか生暖かく、そしてどこかしら優しさを感じさせる。紙にたっぷりと広がる墨は、まるで人間の体内を駆け巡る血液か、はたまた体から溢れ出て地面を伝い染み込む血痕のようか。生と死の、そのどちらにも優しさが内包されており、また悲壮ですらその優しさの内に秘めているのだろうということを感じさせる。そして紙の表面を走る細やかで柔和で艶かしい線の存在。壁一面を踊るように走る線。地面へと沈み込むかのように重そうな線。紙に染み込む墨の表情は溢れ出る喜びか、それとも心を蝕む不安の感情の表れか。様々な表情を醸し出す線が描き出す大きな画面上には、生と死にまつわる多くの事柄を含みつつも、それは様々な事柄を感じさせるひとつのきっかけでしかないのかも知れない。
そうは言うものの、やはり画面上に色濃く出ている生と死の情景。それは私に「生と死」を考えさせる。現代の日本での日常において、深く死について考えることがあるだろうか?「死」を事象として、また事実として受け止めるにはあまりにも漠然とし過ぎている。しかし宗教が根強く息づいている土地や、貧困に苦しむ人達が多く存在する格差社会を目の当たりにした時、衝撃的に見つかるものなのかも知れない。「生きる」ということに対してある種の固執すら感じさせる程の力強い「生」とは、日常の中で「死」を強く感じる瞬間なのだ。生きる事によって死を実感する。そして日常的に起こる死人の弔い。それを目の当たりにした時、自分自身の生に対する執着心もまた芽生えるのではないだろうか。
自らの命を絶つもまだその生々しさが残る人物。生き生きとした表情を見せる骸骨。一切の感情を忘れたかのような表情をもつ裸体。これらのモチーフから何を感じるのか。「生」だろうか、それとも「死」なのか。もしかするとそれは「夢」なのか。わけが分からぬままに作品に身を委ねてみるのも一つの答えなのかも知れない。