ニュートロンアーティスト登録作家 入谷葉子 IRITANI YOKO
版画という領域からはみ出さんばかりに、驚愕の色鉛筆による 描画で常に意欲作に挑む入谷葉子。
その概念は時空を越え、同じ空間・場所で共有する出来事や思 い出を一枚の画面に繋ぎ止めるもの。
家族、そして「家」というものを見つめ、普遍的なものを大切 に一枚の絵に起こす作業は、圧倒的な筆致とコラージュのような色彩、そしてユーモアとと もに漂う懐かしさによって、鑑賞者にもまた、それぞれの「家」を想起させることでしょ う・・・。
ギャラリーニュートロン 桑原暢子
ギャラリーの壁にかけられた大きな紙。画面いっぱいに広がる鮮やかな色の数々。一見すると絵筆で一色に塗られているようにも見える。確かに塗っている。しかしそれは絵筆ではなく、「色鉛筆」なのだ。入谷葉子は版画科を卒業し、その後の制作では他の要素を取り入れつつも、やはりシルクスクリーンを制作の主としていた。しかし彼女は版画だけではなく、シルクスクリーンで刷られた上に色鉛筆で線描を描いたり、また同じ版を用いて全く異なる作品を展開してきた。現在の制作方法のように版ではなく色鉛筆のみの画面構成へと移行した経緯は、彼女にとってはすごく自然な成り行きなのかも知れない。
そして描かれるモチーフもまた制作手法・方法とともに変化している。これまでに彼女はスキー場のリフトや猿山の猿、高地に生息する山羊(マーコール)や鳥など、多種多様なモチーフを選択してきた。そして前回のニュートロンでの展示において、自分自身がこれまで住んできた家をモチーフに選び、「時間と空間の共有」を提示した。とても個人的な部分を描き出すことによって、時間が変われどもその空間が家族を繋ぎ、人と人とがリンクするための要素になっていることをも提示している。以前までのモチーフからすると非常に個人的なことをテーマにしているようだが、猿山の展示の時も同じく「空間」をテーマにしていたことを考えると、全くもって個人的なことばかりではない。そもそも空間という私達を取り囲む環境について考えるきっかけとして個人的な物が登場しているにすぎない。そして今回もまたその家をモチーフに、「時間と空間の共有」をテーマとして新作を展示する。
入谷の祖父は彼女が生まれる前に亡くなっている。同じ時間を共にしたわけではないが、同じ空間を共有している二人。お互いに顔を合わせたことはないが、写真の中だけで祖父を知っている。彼女と祖父がその家で生活していた時の住人達、そしてその家そのものが、入谷と祖父を繋げるパイプになっている。彼女にとって祖父とは会った事がないはずなのに、とてもよく知っている不思議な存在なのだろう。しかしそれは彼女にとってだけの特別な出来事ではなく、その家で生活する各々家族間に横たわる時間と空間の共有なのである。入谷にとっての家を通して、私達は自分自身の家や家族に想いを馳せ、違った形の「家への想い」へと昇華する。それは個人的なことだけではなく、もしかしたら「空間」という全てのものに共通するものなのかも知れない。それはたぶん友達との思い出の場所、恋人との大切な空間もまた、人と人とを繋ぐ「想い」の形なのだ。
例えば待ち合わせ場所。自分にとって大切な場所が、他の人にとっても同じように大事な空間なのかも知れない。早く友達が来ないかとワクワクしたり、いつも遅刻する恋人に対して怒りながらも楽しみに待つ人、久しぶりに会う友人達をそわそわと待っている人。そしてその場所へと向かうまでの道すがら、楽しみに行く人や緊張している人。その場所でも、その場所に行くまでも、やはり空間に対する様々な「想い」が溢れている。それはまるで、入谷が描き出す作品の様に色とりどり鮮やかな色合いでとてもキラキラしているようだ。
入谷葉子の作品が並ぶこのギャラリー空間もまた、誰かにとって何らかの「想い」を含んだ場所であり、また「想い」を新たに想起させる空間となるはずだ。