neutron Gallery - 西川 茂 展 『 inviolable 』 -
2010/3/30 Tue - 4/11 Sun gallery neutron kyoto


profile
西川 茂 NISHIKAWA Shigeru

【略歴】
1977 岐阜県生まれ、三重県育ち
1997 近畿大学理工学部土木工学科環境デザインコース 中退
2002 大阪芸術大学付属大阪美術専門学校芸術研究科絵画コース 卒業
2007.8~2008.8 "Triform" Camphill Community (N.Y) 滞在

【個展】
2003 「それは、ただそこにある」 / 海岸通りギャラリーCASO(大阪)
2003 西川茂展 / 尾鷲市三木里町公民館(三重)
2004 「風加街目」 / Gallery Den(大阪)
2005 西川茂展 / Gallery 白(大阪)
2006 西川茂展 / HAC Gallery(神戸)
2005 「Noise / Silence」 / Gallery Den(大阪)
2009 「Sound & Space Limited」 / Gallery 白(大阪)
2005 「interlude」 / neutron tokyo(東京)

【グループ展】
2000 「PEP ART 未完成な感声」 / Gallery Den(大阪)
2001 「二人展 西川茂/ 角谷功次」 / Gallery Den(大阪)
2002 「ノーマーク展part2」 / Gallery Sen(大阪)
2004 「シェル美術賞展」 / 代官山ヒルサイドフォーラム(東京)
2005 「第一回倉敷現代アートビエンナーレ西日本」 / 倉敷市立美術館(岡山)
2006 「15少年漂流期」 / 大阪府立現代美術センター(大阪)
2005 「絵画を見る2006 / 2 『4つの窓』」 / Gallery 白(大阪)
2008 「7 Artists」 / Gallery 345(Hudson, NY)
2009 「東京コンテンポラリーアートフェア(TCAF) 2009」 / 東京美術倶楽部(東京)

【受賞】
2004 「シェル美術賞展」 / 入選
2005 「第一回倉敷現代アートビエンナーレ西日本」 / 入選
2008 「第23回ホルベイン・スカラシップ」 / 奨学生



statement

制作について

『私たちには、時間という壁が消えて奇跡が現れる神聖な場所が必要だ。 今朝の新聞になにが載っていたか、友達はだれなのか、だれに借りがあり、だれに貸しがあるのか、そんなことを一切忘れるような空間、ないしは一日のうちのひとときがなくてはならない。 本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことのできる場所だ。これは創造的な孵化場だ。はじめは何も起こりそうにないが、もし自分の聖なる場所をもっていてそれを使うなら、いつか何かが起こるだろう。人は聖地を創り出すことによって、動植物を神話化することによって、その土地を自分のものにする。つまり、自分の住んでいる土地を霊的な意味の深い場所に変えるのだ』

- ジョセフ・キャンベル(神話学者) -



二〇〇八年一月一日。
兼ねてより憧れていたジョージア・オキーフの暮らしたニューメキシコ州を訪れた。
地平に消える一直線の道。赤茶けた大地が盛り上がったような山。そして迫る白い丘は、次第に奥へと拡がりを見せる。
朝日を浴びて現れた世界は、まさにオキーフのそれであった。
アメリカ、ニューメキシコ州ホワイトサンズ国定公園。ホワイトサンズ自体は正確にいうと砂ではないのだが、真っ白な砂丘が延々と続くトレイルを奥へと進むと、見渡す限りの白い世界。雲一つなく、真っ青な空と真っ白な地平。
人影もなく、風が止み、音が消えて、国がなくなった。
圧倒的に無機質な風景はただそれ自体の為にそこにあり、そこに居る者の精神を高揚させる。それは一人の人間として、生き物として、地球に暮らすという実感。
この日、私は「黄、オレンジ、赤、紫、緑、青」の空を見た。それらの全ての色が優しく次の色へとバトンをつなげ、その本当に壮大な空の下に小さな人。この時、人の小ささに気付くことは、とても幸せな事のように思ったのだった。
私自身は神を偶像化して思い描く事は出来ないのだが、この人の小ささと世界の大きさとの関係は神という風景のように思える。自分の存在が小さくなっていく事は寂しかったり、悲しかったり、マイナスな感じだと思ってきたのだが、こうして様々な風景に出会い、僕はどんどんと小さくなっていくけれど、僕はどんどんと幸せになっていくよう思った。孤独ではなく、孤独になるのでもなく、時を受け入れる事は本当に幸せな事だったのだ。
僕にとっての風景とは、景色を切り取るのではなく、こうした体験としての空間を切り取る事です。永遠でも瞬間でもなく、二時間や三日間、或いは数年間といった体験。それは映像として記憶に残るものではなく、身体に残された感覚のようなものだと思います。そして、そこから描かれるもう一つの風景は、私にとっていつか何かが起こる場所であると考えているのです。


西川 茂