neutron Gallery - 三瀬 夏之介展 『僕の神さま』-
2008/5/13 Tue - 25 Sun gallery neutron
ニュートロンアーティスト登録作家 三瀬 夏之介 MISE NATSUNOSUKE

今年で開催10年目を迎える「KYOTO ART MAP」に、自信を 持って推薦するのが三瀬夏之介。一年間のイタリア・フィレンツェでの留学を終え、いよいよ日本での 新しい展開が始まろうとしている。
「日本画」「日本」というテーマに固執してきた彼がイタリアで見 て・感じてきたものとは・・・?
「神さま」という特別で不思議な存在をあえてモチーフに掲げ、彼自 身の現在の心境を昇華させるはず。話題の作家の新作をお見逃し無く!!  




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ニュートロン代表 石橋圭吾

神様(かみさま)
1 神を敬っていう語。
2 (比喩的に)常人には成しえないようなすぐれた能力を有し、他から神聖視される人。
…三省堂「大辞林」より

 初回開催から10年目を迎える『KYOTO ART MAP』にニュートロンが自信を持って推薦するのが、1年間のイタリア・フィレンツェでの留学を経て帰国して間もない、三瀬夏之介その人である。


  彼の「日本画」を巡る考察と戦いは昨年9月〜10月の名古屋における2つの展覧会での出品作、「日本画滅亡論(同タイトルの企画グループ展 / 中京大学アートギャラリー・Cスクエア)」と「日本画復活論(名芳堂blanc)」でひとまずは区切りとなり、同10月のニュートロンでの個展ではそれら から切り離して「君主論」と名付けた大作を発表した。後にこれはレジデンスプログラムで滞在した大原美術館(倉敷)に収蔵され、彼はまたフィレンツェへと 戻り、そして3月に帰国した。


 フィレンツェで短いとは言え得難い体験をした彼の中に、奈良生まれ・奈良育ちの生粋の日本の血以外のものが少なからず混入した事が、彼に今後どのような 影響を及ぼすのか、まだ今の時点で云々するのは早計と言えよう。前作「君主論」は山々やドゥオーモ(聖堂)、渦巻く雲などのモチーフが実はそれぞれ違う紙 に描かれたものが継ぎ接ぎの様に合わさって出来ていた大きなコラージュとも言えたが、印象としては素材の墨と紙の繊細な響き合いと大胆な構図が見事に調和 し、イタリア経由の三瀬の新展開を(良い意味で)あっけなく提示された感じがした。制作はイタリアに着いた直後から一時帰国して大原美術館でのレジデンス の最中までだから半年間。彼の揺れ動く6ヶ月を大作に描き切った「俺様」絵画であったと言える(だから「君主論」だっかたは定かではない)。


 そして今回は否応でも日本に住んで日本人であることを実感しながらの制作となる。従来から「日本」及び「日本画」を巡る考察によって作品世界を洗練させ てきた三瀬にとって、今挑戦しようとするテーマとはもはや言葉での理論づけが出来ず、言葉で捉えきれない大きなもの、それはまるで漠然と「神」と呼ぶしか できないようなもの、存在だと言うことか。しかしこれはイタリアに行って異教の文化に触れたから急に宗教について考えてみたくなった、などという程度のも のではないはずだ。彼の絵には昔から富士山、謎の大魔神(彼曰く、伝説化している初代天皇・神武天皇だという)、大仏、多重塔、UFO、さらにはネッシー からサティアンまで、新旧様々な霊的なモチーフ、謎とされ崇拝されるモチーフが多数登場してきたではないか。それらは三瀬の持つ土着的な色合い(作家性も 含む意味で)の中で神秘的に育まれ、何の違和感もなく現代の日本画を成す一要素として使われてきた。そして私達も、それを嬉々として受け入れ、共感してき たではないか。


 私と彼は同い年なのだが、ちょうど大学3年生の時、阪神淡路大震災に遭遇する。自身は無事だったものの、彼は友を助けに現地まで趣き、そして昨日まで確 かに存在したはずの「世界」が一瞬にして崩壊し、カオスと化した現場を目の当たりにした。同年3月には地下鉄サリン事件が起こり、日本人の宗教に対する複 雑な空洞化を直視させられ、そして2001年9月11日には、私達は海の向こうの栄光の象徴が崩れさる場面を同時に体験した。もはや私達の住む世界は決し て「絶対」ではなく、いつどうやって崩れ去っても不思議ではないものだと、思わざるを得ない時代に画家として格闘し、 その時代の中に自分を含めて何か普遍的で絶対的なものを求めてしまう矛盾にも似た感情。三瀬がここで言う「神さま」とは、奈良にもフレンツェにも存在しな い、彼の創り出す絵画の中の世界にしか存在し得ない何者かであろうか。いつも彼の大作には誕生と崩壊が同居している。ひょっとして三瀬夏之介が創造の神で あり、破壊の神なのだろうか。