neutron Gallery - 中村 裕太 展 『豆腐と油揚げ』 -
2009/5/12 Tue - 24 Sun gallery neutron Kyoto
中村 裕太 (陶)

 タイルからイメージされるのは、その国の文化であったり、生 活習慣であったり、実に様々。
 中村裕太は陶芸専攻でありながらも、陶にまつわる文化や歴史 を紐解き、鑑賞者に遊び心をもってインスタレーションを提示する。
 今回は真っ白なタイルから浮かび上がる文字。それは一点を凝 視すると見えてくる。
 足を踏み入れるごとに視線の先にかすかに見えるその気配と韻 律。敷き詰められているのは豆腐なのか、油揚げなのか。




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gallery neutron 桑原暢子

 豆腐を油で揚げると油揚げになる。もとは同じ物であるにも関わらず、豆腐はつるりとした白く柔らかい表面で、油揚げはぼこぼことした形状にざらつきのあるきつね色の表面であり、色も形も全く違う。それらは味噌汁の中であたかも別物かのように二つの具材として存在する。

 一見すると白色タイルが敷き詰められただけの展示室。個展タイトルになっている「豆腐」が白色タイルなのか?ゆっくりとタイルの上を歩いてみる。するとうっすらとタイルの表面に文字が見えてくる。不思議なことに自分の足元の文字しか見えない。どうやら全てのタイルに文字があるようだ。その文字を確かめながらゆっくりと読み進めて行く。

 中村は大正期における白色タイルに関心を向けている。文明開化の後、まだまだ日本的な家屋が多い中で、白色タイルとは経済的で、衛生面においても文句のないものだった。だが、日本家屋の中には似つかわしくないという観点から敬遠される存在でもあった。もともとは水回りに使用されてきたタイルだが、現在にいたっては多くの場所で使用されている。ただし今でも、水回りにおいて重点的に使用されていることを考えれば、私達にとってタイルとはまだまだトイレや風呂場、キッチンといった場所を想起させるものである。特に白色タイルは清潔感を考慮したものとして、広く使用されている。そのため、今回の展示のように白色タイルが敷き詰められた展示室は、あたかも風呂場やトイレのように感じられるかも知れない。

 今回はその白色タイルに焼き付け文字を浮かび上がらせている。タイルが隙間なく埋め尽くされた床面はまるで原稿用紙のようだ。タイル一枚だけを取り出してじっと眺めてみる。そこでは文字の持つ意味は重要ではない。むしろその形状にこそ美しさを感じる。漢字には一つの文字にも意味があり、そこからイメージが想起される。そのため、文字の形だけを注視するのは難しいだろう。しかしひらがなはどうか。ひらがなはいくつかの文字を組み合せることによって、初めて意味を持つ。つまり漢字とは違い、その文字の形状を「見る」のである。そうはいうものの、私たちは文字を見ることでその意味を受け止め、文章を「読む」のであって、文字そのものを「見る」ことは稀である。そのため私たちは、文章を読む時、その先に文章が続いている事を知りながら読み進める。しかし、足元にある文字しか見えない今回の展示では、その続きを伺い知ることができない。つまり、ひとつの文字を「見る」こととは、文章を「読む」ことを妨げることなのではないか。

 白い豆腐が油揚げになるように、白色タイルは油揚げになるのだろうか。中村が作り出す空間を実際に歩いてそこに油揚げはあるのかを確かめて欲しい。