neutron Gallery - 稲富 淳輔 展 『 月よむ骨 』 -
2010/4/13 Tue - 25 Sun gallery neutron kyoto (最終日21:00迄)
ニュートロンアーティスト登録作家 稲富 淳輔 (陶/平面)

実際に水を張るための「器」としてではなく、概念的な容れ物としての「うつわ」を考察し、従来の陶制作に加えて新たに絵画作品に取り組む異色の作家が、京都ニュートロン初登場。

既に昨年のneutron tokyoの個展で評判を呼んだ「うつ わ」の陶オブジェの新シリーズと、絵画のイリュージョンに基づいた平面作品とが実存と仮想の狭間で響き合い、「うつわ」を巡るイメージを掻き立てる。



「月よむ骨」
(2010 / 36×36cm / 紙にオイルパステル)


comment
gallery neutron 代表 石橋圭吾

 この作家のことをつい最近まで陶芸作家だと当たり前のように認識していたが、どうやらその見方は間違いではないものの、充分ではなかったようだ。

 確かに稲富淳輔は陶を用いて器状のオブジェを作ることを制作の軸にしているし、これからもそれは変わらないであろうが、驚くべきことに最近は絵を描いている。それも、単にオブジェを作る前段階のスケッチやドローイングといった程度に留まらず、むしろ絵画としての純粋な成り立ちに基づくものである。少なくとも私の知る限り、そのような制作を並行する者を知らないため、私の中での彼の作家としての存在は大きく変化することになった。

 そもそも彼の作るオブジェは瓶や鉢の形状を成しているシリーズが多いのだが、実はほとんど用途性を重視していない。結果、それらに実際に水を張るなどして使おうとすれば水漏れが生じたりして、役に立たないことになる。にも関わらず何故彼が器状の物体を作るのかと言えば、それはまさに稲富淳輔が「うつわ」をテーマとして考察し、制作する作家だからと言うしかない。矛盾しているようだが、用途ありきの「器」と、彼が追究する「うつわ」では意味の大きさという違いがある。

 彼は実際に用途を前提にして作られる「器」をもちろん知りながら、その形状を拝借し、一方では限定した用途を持たすことを否定し、もっと概念的に捉えることによって「うつわ」というオブジェを生み出している。その中に入るべきは液体だけでなく、血肉や思想、時間の経過による歴史、あるいは天恵と呼ばれるべき生まれながらに与えられたものを含む、様々な事物である。彼の制作過程においては何層も土を焼いては磨き、重ねては焼き、磨き…を重ねることにより、表層には何層もの下地の色や質感が透けて現れ、作家の指による凹凸は生々しく残され、それらの合わさった印象は生まれてから老いてゆく生物の皮膚や年輪を重ねる樹木の様でもある。形状においては奇抜さこそ無くとも、背の高いものや低いもの、細いものや太くてずんぐりしているもの、厚みのあるものや薄いもの、口を大きく開けているものや窄めているもの…などのバリーションは様々であり、実は一点たりとも同じものは無い。同型のシリーズに見えてもそれぞれは固有のアイデンティティーを持つ唯一無二の存在であり、それぞれが個性を持ち、それらが集合し・並ぶ様には一連の韻律が生じ、群集としてのエネルギーをも生じさせる。それはまさに、私達人間の様でもある。

 そう、稲富淳輔は人間を「うつわ」に例えてもいる。私達の体内に流れる血液や活動する臓器をはじめ、人間の体は70%以上は水分で構成されていると聞く。だとしたらまさに、私達の体は「器」であり、表面的に見えているのは器の表層と形状でしかない。その中に容れられているのは物理的な血肉に限らず、固有の思想や性格、物質として存在し得ない概念上の諸物である。彼の作る器が、人間をはじめとする天から降りて来た産物を受け止めている容れ物としての「うつわ」であることにより、一気に必然的なものへと変化して見えるのである。

 その彼が描く絵には、もちろん「うつわ」が描かれている。聞けば彼は「うつわを別の角度から表現するために、絵を描こうと思った」らしい。単純だがその理由は明快である。彼が土を焼いて作ることのできるのは、それでも従来の「器」の記憶ありきの「うつわ」の姿である。しかし彼が紙に描く「うつわ」はもはや、立体物としての存在では無く、絵画のイリュージョンの法則に則った仮想の「うつわ」であり、より概念的な存在に近づこうとする。おそらくまだ「うつわ」と呼べるものには様々な考察を許す角度があるのだろうが、差し当たって彼は実存と仮想の二極からの「うつわ」考察を試みる。それはもはや、陶芸という枠を遥に超えた根源的な問いへの探求へと進むことを意味するが、もしかしてその先に見えるのは、人間が「器」という物を生み出すに至った本質的な理由かもしれない。少なくとも私は
そう願い、彼の道筋を追って行きたいと思う。