福井栄一コラム 「アートおもしろ草紙」 2001
上方文化評論家 / 福井栄一


アートおもしろ草紙(2001年12月)   「 誰に見せるか」

 毎年師走になると、京都・南座の「まねき」が話題にのぼるが、顔見世興行は元々、 大坂の芝居小屋で始まった。貞享年間(1684〜1688年)頃、大夫元(興行主 舟)と俳優等との契約は1年契約が普通であった。その更改の時期がちょうど十二月 だったのであり、新しく契約した俳優たちの顔ぶれを観客に披露するという意味で、 この時季に「顔見世」興行が行われる様になった。贔屓の名優たちがズラリと顔を揃 える「顔見世」は歌舞伎ファンの眼福である。歌舞伎が庶民の娯楽の王者であった江戸時代と違い、多くの現代人には、歌舞伎に 限らず日本の伝統芸能全般が縁遠い様に思えるかも知れない。しかし、雅楽や津軽三 味線のCDがヒットしたり、教育指導要領の改定に伴い2002年度から全国の中学校 で和楽器の学習が必修になるなど、邦楽再興の波は既にひたひたと我々の足を洗って いる。「顔見世」も歌舞伎の魅力をより広く社会に「みせる」(見せる・魅せる)べ き時期に来ている 。





アートおもしろ草紙(2001年11月)   「地震に勝ち時代に負けたホテル」

  明治23(1890)年11月3日、外相井上馨の肝煎りで帝国ホテルが開業した。 建物は木造レンガ造りで地上3階建。宿泊料金は、そば1杯が1銭の時代に1泊食事 付で3円は下らなかったらしい。やがて建物の老朽化に伴い、新館建設が急務となった。設計者に抜擢されたのは米 国の建築家フランク・ロイド・ライト。建物の竣工は、建築計画のスタートから約8 年が経った大正12(1923)年であった。披露パーティ−は同年9月1日正午に 開宴予定。しかし、その2分前に関東大震災が起こり、パーティ−は中止された。ホ テル建物には殆ど被害が無く、ライトの名声は一躍高まった。こうして関東大震災にも耐え抜いた帝国ホテルの建物だが、時代の趨勢には勝てず、 昭和42(1967)年に取り壊し。建物の一部が愛知県犬山市の明治村に保存され ている。建築物を翻弄したのは、またしても天災ではなく人為であった。もはや不易 とは奇蹟なのだろうか。





アートおもしろ草紙(2001年10月)   「松を待つ身」

  陰暦10月は、各地の神様が出雲大社に集まって、男女の縁結びを行う。その間、 出雲以外の国は神様が留守。故にこの月を神無月(かんなづき)という。逆に、出雲には神様が集結する訳だから、出雲の10月は神在月(かんありづき) と呼ばれる。あちらこちらへ出張せねばならない神様も存外大変である。  とはいうものの、多忙な神様たちも時には地上へ降り立つ。その際に「依り代」 (よりしろ)として好まれたのが松である。 いわゆる「羽衣伝説」で天女が羽衣を掛けた樹は松であるし、能舞台正面 の鏡板に 描かれるのは常に老松である。  やがて時代が進み、芸能が神々への神聖な供物から貪欲な大衆向けの消費財へ変貌 する過程で、松はアートシーンの後景へと退いた。それどころか、環境破壊による松 林の枯死が社会問題になっている。待てど暮らせど美の宴に招待されない神々の嘆息 が聞こえる様だ。






アートおもしろ草紙(2001年9月)   「 聴く目 観る耳 」

「はじめにことばありき」の言葉通 り、宗教とは「聴く」ことだ。神の秘蹟を「観る」ことが出来た人は少ない。ために人は「聴く」ことで信じる。 だからこそ、宗教は史上最も美しく強力な噂だと言われる。 しかし、「聴く」ことと「信じる」こととの懸隔は実は大きい。その架橋が「観る」ことである。神を「観る」のではなく、その似姿を「観る」。宗教美術の誕生の契機がここにある。美術は宗教を後追いする。宗教の伴走者は「聴く」こと、即ち宗教音楽の方だ。このことは教会美術と教会音楽の歴史を考えれば明らかだろう。人は描いて、「観て」祈るのではない。唱え、「聴いて」祈る。あるいは、神を対話し、その声を「聴き」ながら祈る。あなたなら、エルグレコの宗教画とJ.S.バッハのカンタータのどちらに心揺さぶられるか。一見突飛な比較を自分に課することで、自分の美意識の中の「目」と「耳」の比重を量 ってみるのも、芸術の秋の趣向であろう。







アートおもしろ草紙(2001年8月)   「 拍手と柏手 」

 人は素晴らしい演技や心うつ演奏に触れた時、どうして拍手をするのだろうか。 「魏志倭人伝」に拠ると、かつて日本人は他人に会うとと、挨拶として拍手をしたらしい。これは「魂振」と呼ばれ、互いの魂を拍手の音で百合動かすという呪術的な意味が含まれていた。至芸に接した接客の拍手は、舞台の上の芸術家の魂と自分の魂を手を打つことで共振させたいという願望の現れなのだろう。 ところで、芸術家との魂の交歓を求めて手を打つと「拍手」(はくしゅ)だが、相手が神になると「柏手」(かしわで)と呼ばれる。神前での作法は一般 的には「二拝二柏一拝」とされる。多くの漢和辞典が「柏手」の語源を「拍手」の書き間違いと記述するが、古来、柏(かしわ)には「葉守りの神」が宿るとの信仰があることなどを勘案すると、杜撰な説明と言わざるを得ない。 今年も首相の靖国神社参拝問題がとりざたされる時期になった。「拍手」と「柏手」は、「芸術」と「政治」の関係に似て、妙に近くて遠い。









アートおもしろ草紙(2001年7月)   「 芝居の内と外」

 毎夏、全国各地で薪能が催される。最近ではまちおこしの一環として自治体とのタイアップで行われることも多い。この時期の能役者の多忙ぶりは、「第9」の歳末特需に振り回される交響楽団員に匹敵するだろう。 観客の多くが薪能の魅力として、野外の開放感と闇夜に浮かび上がる能舞台の幻想性を挙げるが、考えてみれば奇妙な話。能も歌舞伎も元来は野外劇だったのだから。現在のように屋根や壁のある劇空間で上演されるようになったのは、そう古いことではない。観阿弥・世阿弥父子の猿楽が足利義満の目にとまったのは、野天の今熊野神社境内であったし、出雲の阿国が歌舞伎をどりを創始したのは、川風わたる四条河原だった。 「芝生の上に居て観る」から芝居という。とすれば、薪能は能楽の亜種ではなく原形なのだ。 真に「新しいこと」は、実に少ない。薪能の篝火は、表現者にとって残酷なこの命題を明々と照らし出している。